3打差の8位タイから出た最終日は、2バーディ1ボギーの「69」。
「大きなチャンスを作れるようなショットメイキングじゃなかった」と、伸ばしきれずに終わったのは悔しい。
また欧州初制覇には届かなかった。
でも、朝のうちは、開幕前から欧州ツアーの選手に宣伝してまわった美しい富士山が顔を出してくれたし、何より年に一度の日本ツアーで昨年は、予選落ちでがっかりさせた地元三重県の応援団に週末のV争いで報えたことは嬉しかった。
川村が6季連続シードを続ける欧州・DPワールドツアーは一昨年から日本ツアーに門戸を開き、前年の賞金の上位3人につけた若い子たちが入れ替わりでやってくるようになった。
昨年の久常涼に続いて、今年は星野陸也と中島啓太、そして今週の日本開催では桂川有人が欧州初制覇。
仲間に加わることになった。
いつもなら、プレー後にすぐ家族らのもとに向かうが、きょうはしばらくスコア提出所の前で待機。
後ろの組で、もみくちゃになりながら上がってきた桂川に歩み寄り「おめでとう。これからよろしくね」と、祝福と参戦を歓迎をした。
近頃は、欧州ツアーで日本選手の相談役みたいになっている。
桂川は「ヨーロッパにまだほとんど行ったことがない。チケットの取り方とか全然わからない」と、不安がったが川村は、「何も心配ないと思います」と、優しく言う。
「日本で1年だけやって、すぐアメリカに行く子なんで。もっと過酷なツアーで、1年間戦ってきている」。
昨季、米二部ツアーに参戦した桂川について、「伝説になっている」と、川村が明かすのは、桂川がPGAツアーの「ジョンディアクラシック」の予選会に挑戦したときのこと。
自ら、キャディバッグを担いでラウンドして本戦突破。
さらに本戦の予選も突破。
「行きたい行きたいという子はいっぱいいますけど、ほんとに行った子ってそんなにいないと思うので。自ら行動した子がチャンスをつかむと思う」と、評価する。
「僕が教えることなんてないと思う」と言う川村を、みんな頼りにしている。
年下たちの世話を焼き、年下たちの快挙を心から祝福し、どんな苦難も笑いに変えて頑張ってきた。
この足で次は中国に飛ぶ。
「僕はまた、まずは4日間こつこつやって」。
毎週、国をまたぐ旅は7季目に入った。
川村にも吉報が舞い込むことを、JGTOスタッフも心から願っている。