「こんな大勢の方の前でとは…。恥ずかしかった。大丈夫だったかしら」と、不安そうにされたが息子さんの代わりにマイクに立った受賞のご挨拶も完璧だった。
主催のJGTOが“代打”のオファーをしたのは、まだレース真っただ中の先週金曜日。
賞金王は決定していなかったが、他6部門の受賞はほぼ確定で、息子さんの代わりにトロフィーの授与をお願いしていた。
愛犬のお世話もあり、当初は予定されていなかったそうだが、せっかくなら、と1日早めて地元広島から上京してくださり、日曜日の逆転賞金王を観戦。
「去年も悔しい思いをしていたようなので、息子は獲りたかったと思いますが、私は獲れなければそれでもいい、と思っていたんですよ」と、言いながら、タオル地のハンカチにはたっぷり涙がしみ込んだ。
お母さんがガンの告知を受けたのは22年。金谷が世界進出をかけて海外を飛び回っていた年だ。
心配をかけまいと最初は黙っていたそうだが、さすがにと、その年夏に息子が帰省した際に報告された。
表情にも特に変化のなかった息子がその翌年に、JGTO主催の「BMW日本ゴルフツアー選手権 森ビルカップ」でアマプロ通算4勝目を飾ったVスピーチで、お母さんへの思いを涙ながらに語っていたのにはテレビで見て驚いた。
「ほんとにね、用事以外は話さないし、めったに連絡してこない子なんですけれど…」と、お母さんは苦笑をするが、闘病中の23年に、応援に駆け付けた「ミズノオープン」で3位で負けた際には、「せっかく来てくれたのに優勝を見せてあげられなくてごめん」と、すぐラインをくれた。
「まだ目の前で息子の優勝を見たことがない」という。
今年は、2年連続で駆け付けた11月の「三井住友VISA太平洋マスターズ」で好機を迎えたが、最終日をトップで出ながら「72」と伸ばせず10位タイ。
本人も相当悔しかったようで「本当に、良い報告がしたいですね」と、終盤戦でも言っていた。
今まで貯めに貯めて来た分、目の前で決めた逆転の賞金王こそ、何よりの親孝行になった。