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日本オープンゴルフ選手権競技 2001
後半のインでパーオンはわずか2ホール・・・
2打差の単独首位にたった前夜は眠れず、夜中に何度も目が覚めた。
この日最終日は、正午すぎのスタート。しかし、6時には目が冴えて、そのまま眠れなかった。
プレッシャーとの戦いが、始まった。
手嶋の持ち球は、ドロー。しかし、「技術的な問題もあるけど、精神的なものもあり」ティショットは、プッシュアウトの球ばかり。
確実にフェアウェーを捕らえる同組の友利とは対照的に、再三、ピンチを迎える手嶋は「相手がどうとかより、自分のことに必死で・・・」懸命に、目の前の1打に集中しようとする姿があった。
9番パー4でも、第2打を、大きく曲げてグリーン左の林へ打ち込んだ。
2メートルに寄せて、必死でパーを拾ったが、「それからは、自分がいったい、何をやっているのかわからなくなってしまった」バック9で、パーオンできたのは、バーディを奪った12番と18番の、わずか2ホールだけだった。
それでも、緊張でがちがちだった手嶋の支えとなったのは、「アプローチとパッティング」。
6番で、3メートルのパーパット。9番で2メートル。10番で3メートル。
13番では、バンカーヘリからのアプローチを2メートルに寄せて、「スライス、フックのいやらしいのを沈めて」パーセーブ。
「11番でボギーを打って、すぐあとの12番で取り返したばかりだったから、ここでまたボギーを打つと、おなしな流れになる。このあとは、厳しい終盤ホールが続くから・・・あのパーパットは、大きかったですね」と振り返った。
最後まで、首位の座を守りつづけてゴールしたが、「それは知らなかった」という。
「見ると、手が固まってしまうから」と、この日は、17番ホールまで、スコアボードをまったく見ずに、戦ったからだ。
17番で、ようやくチラっとボードが目に入った。
4打差ついていた。
その17番でボギーを打ったが、「まだ3打差ある・・・」と、少し、安心できた。
「今日はずっとかっこ悪い戦い方だった」と謙遜するが、ラスト18番は、チャンピオンにふさわしい、鮮やかな一撃。
残り210ヤードの第2打を、ピン手前2メートルにピタリ。
これをがっちり沈め、バーディの締めくくりに、唇をかみ締めたまま、手嶋は、腰の脇で力強くガッツポーズ。
2位以下を、4打も引き離して射止めた“日本一”の座、2日後の33歳の誕生日に、自ら、ビッグなプレゼントで飾ってみせた。