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2002 アジア・ジャパン沖縄オープン 2003
沖縄本土復帰30周年記念アジア・ジャパン沖縄オープンゴルフトーナメント開催!!
今シーズンの余韻を残す、いまもっとも旬な選手たちが、沖縄県・具志堅村のザ・サザンリンクスゴルフクラブに集結し、アジアNO.1の座をかけ、熱戦を繰り広げるのだ。
このタイトル獲得により強く、闘志を燃やすのはやはり、今季初シード入りを果たした、ニューフェースたちだろう。
今大会の獲得賞金は、来シーズンの各ツアーに加算されるとはいえ、今年最後のこの大会で初優勝を飾れれば、最高の締めくくり。実力のほどをアジア全土に知らしめると同時に、来年にむけ、さらなる飛躍のきっかけとなるのは、間違いない。
今年のジャパンゴルフツアー賞金ランキング54位につけ、初シード入りを果たした高山忠洋(=写真右、今月5日のジャパンゴルフツアー表彰式にて)も、その例外ではない。シーズンも押し迫ったころ、ある会場のロッカールームで、他の選手と今大会の話題になった。
この『アジア・ジャパン沖縄オープン』の開催時期は、高山らにとっては事実上の最終戦となった、カシオワールドオープン最終日から、3週間後だ。
「…もう、そのころには、体はオフモードに入っちゃっているかもなあ…って、ある選手が言ったんですよ。それを聞いて、僕は思ったんです。これは、大きなチャンスになる、ってね」
そう言って高山は、ニヤリと笑った。
本番までの空き週が長いことで、多少、気持ちが緩んでしまう選手も、多いかもしれない。
「そのスキをぬって初優勝、も夢じゃない」、と高山は、読んだのだ。
「だから僕はカシオが終わっても、気を抜かずに大会まで、しっかりと調整を続けようと、ひそかに決めたんです」という。
今でも、あの感動シーンは、忘れていない。
高校球児だった高山を、ゴルフの道へ進ませた、あのシーンだ。
95年のフィリップモリス。
ブラウン管で見た田中秀道の、涙、涙の初優勝シーン。
小柄な体をハンディとせず、むしろそれを武器にして戦う姿に大いに感動した高山は、「ピン、と来てしまった」。
大学に進んで続けようと決めていた野球をあっさりと捨てて、その翌日には研修生になるべく、岐阜県・法仙坊GCの門を叩いていた。
3年後の99年には12月のファイナルQTで出場権をつかんで、ツアーデビュー。その後、わずか2年で初シード入りを果たした原動力は、「いつか、秀道さんのような感動シーンを味わいたい…」との思いだった。
めきめきと、頭角をあらわしてきた今シーズン。
度胸と、底抜けの明るさを最大の武器とする24歳が、最後の最後に、夢のシーンを実現させるか。