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2005 アジア・ジャパン沖縄オープン 2006

高山忠洋は、2008年までの日本とアジア両ツアーのシード権を獲得!

秋のトーナメントで最初は左、その後すぐ右と、立て続けに両足首を痛めるアクシデントに見舞われた。
そのせいで飛距離は30ヤード近くも落ち、この週も「ショットが当たらない。予選も通れるかどうか、というくらいの調子の悪さ」。

そんな最悪の状況ながら、“練習の虫”は収まらなかった。

「今日はグリップをウィークに握ってやってみよう」
「今日は切り返しで右の股関節を沈み込ませて打ってみよう」
「今日はフットワークを使ってショットしてみよう」

自分に毎日ひとつずつ課題を出して、それをこなしていくことで、日に日に調子を取り戻していった。
「この4日間は、その積み重ねで勝った」と胸を張る。

ボールにもプリントしているラッキーナンバー『25』には、『25』と『ニコニコ』を引っ掛けて「いつも笑顔でゴルフをしよう」という、思いが込められている。
この週、連日吹き荒れた海からの強風には「思い通りに行かなくても、楽しんで回ろう」と、決めていた。
持ち前のプラス思考を存分に発揮して、この「我慢比べ」に勝ち抜いた。

アジアンツアーと、日本ゴルフツアーの共同主管で行われたこのアジア・ジャパン沖縄オープン。
優勝者には、2008年までの両ツアーのシード権が与えられる。
アジアンツアーには、欧州ツアーと共催のビッグトーナメントが数多くあり、普段から「世界のいろんな試合でプレーしてみたい」と夢を語る高山にとって、大きく道が開けたことになる。

報道陣に指摘されて、はじめてそのことに気がついた。
「あぁ、そっかあ!! そんなこと、ぜんぜん考えてませんでした。・・・どうしよう!?」。

本当なら今年、米ツアーのQスクールを受験する予定だった。
しかし、思わぬ足の怪我で「行っても単なる“アメリカ旅行”になってしまうから」と、直前に泣く泣く諦めた経緯がある。
来年、もういちど出直す予定だったが、この優勝で思いがけず“選択肢”が増えて、嬉しい悲鳴。
「・・・このオフに、じっくり考えてみたい」と、目を輝かせた。

  • 優勝副賞に、トレードマークの笑顔がいっそう深く
  • 稲嶺惠一・沖縄県知事(右)と、ボランティアのみなさんと・・・「素晴らしい大会を支えてくださったみなさんに心からお礼を言いたい」と高山

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