記事
日本ゴルフツアー選手権宍戸ヒルズカップ 2005
溝渕洋介「ゴルフの原点」で好スタート
身長187センチから繰り出す豪快なショットは、「曲がらないことのほうが珍しい」(溝渕)。
それだけに、待ち受ける深いラフにフロント9は「ビクビクして」思い切りプレーできなかったが、11番で右ラフから1メートル半に寄せ、パーを拾って「吹っ切れた」。
続く12、13番で連続バーディを奪うなど2位タイに、最終ホールの18番では大きな拍手で迎えられた。
「コースを回っているときも、フォアキャディさんとか知ってる顔がたくさんあって。・・・スコアが悪かったらきっと、見向きもされないんでしょうけれど(笑)。たくさん応援してくださったし、とても回りやすかったです」と、歓声のするほうへ、大きな体を何度も折って礼を繰り返した。
名古屋商科大学のゴルフ部に属したが、練習熱心ではなかった。プロ入りも実は本人の希望ではなく、父・英夫さんのたっての願いだった。
3年やってだめだったら、長兄の浩一さんと、次兄の清二さんが後を継いでいる家業(材木業)を手伝うという約束で研修生になったが、はじめはぜんぜん身が入らなかった。
本気になったのは91年9月25日。55歳という若さで、英夫さんがこの世を去ってからだ。
亡くなる一週間前に、はじめてガンで余命いくばくもないと知らされて父を見舞ったとき、病床で誓った。
「必ず、プロになるから」。
それから約1年後の5月に、みごとプロ合格を果たしたのだ。
プロを目指してからわずか2年目のデビュー。しかし、そのあとは苦労が続いている。
予選会からツアーの出場権を手に入れたのは94年だけ。その年も賞金ランク188位に入って154万6075円を稼ぐのが精一杯で、あとは鳴かず飛ばず。
今年はようやく、昨年のファイナルQTランク38位に入って、実に11年ぶりにツアーへの本格復帰を果たすことができた。
小、中学生のころのまま、野球の道を目指していれば、「こんな苦しい思いをすることもなかったかも・・・。ゴルフでは、食ってけない!」というのが、偽らざる本音。
それだけに、好スタートが切れたこの思い出のコースで、ぜひ上昇のきっかけをつかみたいところだ。
「・・・それが、父の願いでもありましたしね」。
37歳が、しみじみとつぶやいた。