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アジアパシフィックオープンゴルフチャンピオンシップ パナソニックオープン 2009
今年のアジア太平洋地域のNO.1は丸山大輔
アジアは、まだ日本ツアーの出場権がなかった2000年の台湾PGA以来。日本では、2005年のフジサンケイクラシック。
4年ぶりに手にした勝ち星に、「優勝の味を忘れていました。初優勝のような気分ですね」と、しみじみと噛みしめた。
4打差首位からスタートした最終日は、連日60台をマークしたこれまでの3日間のように、「今日もスコアを伸ばして終えるつもりだった」。
しかし9番で、手前から2メートルもない絶好のバーディチャンスを外してから「作戦を変更した」。
この日は風が吹いた上に、晴天続きにグリーンはパンパン。しかも、この4日間でもっともシビアなピン位置は、「このホールの一番難しい所はここだ、というところに切ってあって。逃げる立場の人間には非常に苦しくて」。
厳しいホールが続く後半は「なんとかパーを取って、ホール数を減らして行こう、と」。
ひたすら我慢を決め込んだ。10番で5メートルをしのぎ、11番もからがら拾った。
もっとも難しい12番パー4(484ヤード)は、アプローチをどうにか3メートルにつけて、「あっぷあっぷのパーばかりで」。
最後のウィニングパットもやっぱりパーパットで締めた。18番は、奧から2.5メートルが辛くもカップに転がり落ちて、結局4打差で逃げ切った。積み重ねた忍耐が実った。
この日、アンダーパーをマークした選手はわずかに4人。平均ストローク74・968は、今季2番目の難しさ。
その中で、3ボギーで踏みとどまって「今日はバーディが、ひとつもなかったですが・・・・・・」。最終日にバーディなしの優勝は、記録の残る85年以降でいえば、河村雅之が勝った1995年の東海クラシックから数えて2度目の珍事には、本人も気まずそうに苦笑した。
しかし、同時に胸を張る。
「フェアウェーをとらえ、アイアンでバーディを狙っていく。それが僕のスタイル」。
2006年から2年間を米ツアーで戦った。本場でパワーの差にもメゲず、「飛ばなくても勝ち星を重ねている選手もいる。自分のスタイルを大切しよう」と、その分アイアンショットの精度を磨き、ショートゲームの練習に時間を費やした。
おかげでいまや、ミスしてもすぐに立て直せる。「アメリカで戦ったおかげで、ディフェンス能力が上がった」と、実感できる。
「今回も、自分のゴルフが出来たのも、アメリカに言ったおかげ」との自負がある。
「向こうでは、ここ以上にタフなコースでやってきた」。柔和な笑顔の裏に隠した揺るぎないその自信が「絶対に勝つ」という、強い気持ちを後押しした。
確かに、帰国してから昨年1年間は気が抜けた。「アメリカのコースはタフすぎて・・・。攻め方や芝質の違いもあって、日本に帰ってくると不思議な感覚。僕はたかだか2年間だけだったけど。それでもリセットするまで時間がかかった」。
今季も序盤は1打差で予選落ちというのが続き、「今年はこのまま終わるのか」。ふいに沸き上がった不安を振り払おうと、これまでにないハードなトレーニングに着手したのは6月。
アスリートのためのウェアメーカー「アンダーアーマー」と契約を結び、都内のジムに通いつめ、アルペンスキーの皆川賢太郎さんの姿に「世界一を目指す人は違う」と、刺激にした。その成果が出始めたころに、再び闘志も沸いてきた。
タフなコースにもまったく息が上がらない。スタミナがついていることを、改めて実感したこの4日間。
「これからも、もっともっと勝ちたい」。この1勝を機に、貪欲さも戻ってきた。
アジア太平洋地域で活躍する選手のNO.1決定戦。
アジアと日本の賞金ランキングに加算される今大会のチャンピオンには両ツアーのシード権と、11月の世界ゴルフ選手権「HSBCチャンピオンズ」の出場権が与えられる。
ふいに開かれた世界への扉。アジアンツアーのチャン広報ディレクターに、「もちろん出ますよね」と、念押しされて返事に困った。
「これから先は日本ツアーもスケジュールが続くんで・・・。ちょっと考えさせてください」。
ゲームプランばかりか、この日はこの先の急のスケジュール変更まで余儀なくされて、しばらくは贅沢な思案が続きそうだ。