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全日空オープン 2002

「途中は、情けないことも考えた」

2年1ヶ月も遠ざかっていた優勝が、ジャンボ尾崎を弱気にさせた

1打リードで迎えた18番、ティグラウンドでジャンボは、エースキャディの佐野木計至さんと、こんな会話を、交わしている。
「ここは、ドライバーだよな?」(佐野木さん)
「当たり前だろう!」(ジャンボ)
「そうだよな、そうじゃなきゃ、この先はないよなあ…」(佐野木さん)

スプーンで、手堅くフェアウェーという手もあったが、そのVルートは、ジャンボの美学に反した。
「最後は、ドライバー握って、真っ直ぐ正確に打つ! ここでドライバー打てないと、マスターズにも行かれないじゃないか! …あのときは、そういう気持ちだったね」とジャンボ。

そう豪語しながらも、「今日は途中で、情けないことを、考えたこともあったんだ」と、あとから、苦笑いで打ち明けた。
1打ビハインドの15番パー4で、6メートルのバーディチャンスを外したときだ。
藤田は、グリーンをはずして、3メートルのパーパット。
「外して、ボギーにしてくれって、思っていた。藤田が、スキのない、いいゴルフをしていた。その中で、ミスを期待する自分が、情けなかった」

藤田との18ホールの接戦は2年もの間、優勝から遠ざかっていたジャンボの心に、少しずつ、ダメージを与えていたのだ。
「見ているほうにはなかなか、面白いゲームだったと思うが、やってるほうは、つらかったんだ。苦しい戦いだったからね…」
自分の弱さに気付き、すぐに我に返ったジャンボは、
「感動を与えることが、俺の使命」と思い直し、それから残り3ホールは、相手のミスを待つゴルフより、自ら、バーディを取りに行くゴルフを、貫きとおしたのだ。

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