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住建産業オープン広島 2000
「暑い中、カッカしないで涼しくプレーする方法を考えていた」
会場の広島カンツリークラブは昭和38年開場。「古いコースは、むやみに飛ばしてもしょうがないようにできている。ラフも深いし」と、湯原信光は、ティショットでスプーンを多用し、確実にフェアウェーを捕らえてスコアを伸ばした。
スタートの1番、353ヤードのパー4では、ティショットでスプーンを握り残り80ヤード。サンドウェッヂで、手前1.5メートルにつけてバーディ発進。
13番ではティショットを右ラフに打ちこむトラブル。パーオンはできなかったが、ピンまで28ヤードの第2打を1メートルにつけてパーセーブとした他は、ピンチらしいピンチもなく、6バーディ、ノーボギーで好スタートを切った。
昨年の開幕直前に椎間板ヘルニアを患い、長期の欠場を余儀なくされた。
昨年の今大会は、2ヶ月間寝たきりの病院生活からの復帰2戦目だった。15位とまずまずの成績で終えたことを弾みに、8月の久光製薬KBCオーガスタ4位、サントリーオープン7位、そして日本オープンでは、尾崎直道とV争いを展開し、2位タイ。リハビリを兼ねた参戦ながら、賞金ランク33位にも入った。(99年は公傷制度を適用=トップページ、ツアー規定の項目参照)
「それでも、昨年は万全とは言えなかった。使ってない筋肉がやせてしまっていたし、それをどんなに鍛えても、長いこと動かしてなかったことに対する影響はそうすぐには、戻らなかったからね。
スイングするときに筋肉へ送る信号の回路も切れてしまっていたから、ゴルフと体のバランスも非常に悪かったんだ。あれから1年。自信を回復することに努めて、ようやく自分らしいゴルフが出来てきたって感じかな。
長年、ここのコースではやらしてもらってるから、いいポジションはわかってるし。暑い中、カッカしないで涼しくプレーする方法を考えながらやったらこの結果です」
現在、42歳。8年後の50歳には「米シニアツアー挑戦という壮大な計画がある」と明かした。
3年前にも膝やヒジの怪我に悩まされ、ちょうど「ゴルフへの興味が薄れかけていた」ときに出会った、米国のティーチングプロ、ジョー・ティール氏に「新しい目標を作って、それを追いかけてみたらどうか」と勧められ、意欲を取り戻した。
以来、その計画実行に向け、オフにはアメリカに渡って合宿を開いたり、トレーニングに励んだり着々と準備を進めている。
92年の今大会以来、遠ざかっている優勝で、“壮大な計画”にも弾みをつけたいところだ。