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マンシングウェアオープンKSBカップ 2006
ファイナルQTからの大躍進、武藤俊憲が大逆転のツアー初優勝
「ほんとうに、僕が勝ったんですかね?」。近くのスタッフに真顔で聞いた。
最終日は、首位と7打差からのスタート。「勝とう、なんて気はまるでなかった」。
その日の朝、同じ用具契約の谷口徹に言われた。
「今日、ノーボギーで回ってきたら、ごちそうしてやるよ」。
ただ、その約束を果たしてやろう、という思いだけがあった。
「そういえば、今日はずっとフェアウェーから打っていた。今週、ドライバーを新しいのに変えたんです。徐々に慣れていこうと8割くらいの力で打っていて。そのせいかな」。
ほとんどピンチらしいピンチもなく、気がついたらリーダーボードの一番上にいた。
最終18番で、この日8つ目のバーディを奪って首位タイ。
しかし聖志の5組前で回り、最終組の1時間も前にホールアウトしてきたとき、武藤は笑って言っていた。
「僕の優勝?! ありえない。聖志さんは、あとロングを2つも残してる。聖志さんが勝つに決まってます」。のんきに、そう答えていた。
今季ファイナルQTからの参戦。2006年度のツアー出場優先順位を決める昨年12月のこの“予選会”は、度重なる天候不順で当初の予定どおり競技が終了できなかった。
大幅な延期を余儀なくされて、結局、予選最終日あたる第4ラウンドと、決勝ラウンドの第5、第6ラウンドは、年をまたいで3月に競技が再開された。
それが決まったのも、2月も半ばをすぎたころだった。
方針の決定を待つ間、「いったいどうなってしまうのか・・・不安でイライラしたこともあった」という。
ちょうどそんな折、契約メーカーのテレビ収録でたまたま田中秀道と会った。
「・・・大変だろうけど、なるようにしかならないから」。
尊敬する先輩の言葉で吹っ切れた。
競技再開を待つ間の約3ヶ月。無心になって、とにかく練習に打ち込んだ。
そうして迎えた第4ラウンドで75、第5ラウンドで75を打ってランク76位と、いちどは今季の出場権も絶望的な位置に落ちながら、最終ラウンドで65で回って35位に急浮上。
土壇場で出場権を手にした勢いは、約1ヶ月後に迎えたツアー開幕でも持続していた。
それだけに、「いずれは自分も」との思いは、確かにあった。
しかしまだシード権さえ持たない自分が、すでにツアー1勝の聖志にいきなり今ここで勝てるとは到底、思えなかった。
「めっそうもない」と、自らその可能性を全否定した瞬間、聖志が15番パー5でバーディを奪って、再び1打差がついた。
ますます、自分の勝ちはない。
そう確信したが、それでもスタッフは一応プレーオフに備えておくよう勧めてくる。
「・・・必要ないと思うけどなあ・・・」。
首をかしげながら、練習場に向かったのだ。