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久光製薬KBCオーガスタ 2002
「俺たち世代の、モデルケースに」
18番では、もう、夢中だった。
グリーン左ラフからの第3打。アプローチはピンを6メートルも、オーバー。
そこからのバーディパットも、1メートル以上残ってしまい、「痺れてた…。ほんっとに、痺れました…」
ウィニングパットを決めたときは、何も考えられず、「頭が真っ白の状態だった」、という。
そんなピンチの連続も、なんとか、18ホール闘い抜くことができたのには、今大会のラウンドレポーターを務めていた同級生、羽川豊の存在も大きかった。
学生時代から、同じフィールドで戦ってきたよきライバルの顔が、プレー中の湯原の視界に、チラチラと、入ってくるたびに、「よし、あいつに、俺たち世代も、まだ頑張れるってとこを、見せてやる!」
そんな気持ちで、湯原は何度も、心を奮い立たせたのだ。
今大会が始まる前にも、コースで羽川と顔を合わせたとき、湯原はこんな言葉をかけていた。
「羽川、おまえもまた選手として、戻ってこいよ!」
それは、羽川に限らず、年々、元気を無くしていく同世代への、呼びかけでもあった。
「ここでなんとしても勝って、俺みたいなオジサンでも、気持ちさえあればやれるという、モデルケースになれればいいな、と思ったんです…」