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ブリヂストンオープンゴルフトーナメント 2006

横尾要が少年野球時代の監督と懐かしい再会。

懐かしい恩師と握手
21年ぶりの給食を味わって校長室に戻ると、地元の少年野球チーム「要町ホープス」で、野球に熱中していた時の監督が横尾要を待っていた。
当時、野球を指導してくれていた、佐々木守さんと森田進さんとの懐かしい再会である。
横尾は照れくさそうにしながらも、しかし、がっちりと握手を交わした。

そして持ち寄った当時の写真や文集、卒業アルバムを並べて思い出話に花が咲いた。
佐々木さんはその頃の横尾を、「三拍子揃っていて手が長く、横から投げるいいピッチャーだった」と振り返る。6年生のときには優勝も経験しており、横尾への印象はとても深い。

野球に熱中していた横尾がゴルフを始めたきっかけは、小学校4年生の1月。1983年のハワイアンオープンで、青木功が奇跡のイーグルで劇的な逆転優勝をしたシーンを、早朝にテレビで見て子供ながらに大きな衝撃を受けた。
横尾は当時、「興奮冷めやらぬまま登校した」思い出があるという。
青木のスーパーショットを見て以来、野球と並行してゴルフにも夢中になり、半分に曲げた面子を、折れた釣竿の先にテープでぐるぐる巻きにした、手作りのクラブを作り、校庭でゴルフボールを打って遊んでいたそうだ。

野球に熱中し、ゴルフにも興味を持ち始めた5年生のとき、「高いところからいろんな方法で飛び降りる遊び」の途中、右手から着地した際に、横尾はひじを骨折してしまった。6年生に向けてピッチャーとして作り上げる大事な時期だったために、監督たちは非常に残念がった。

「落ち着きのない子」。これが横尾の小学生時代を語るに相応しい表現で、通知表にはいつもこの言葉が書かれていたという。「体育が得意で勉強が苦手」。活発な少年の代表格であった。
そんな横尾は当時の骨折を、「何でもやりたがりの時」とその頃のやんちゃぶりを明るく振り返る。
このような少年時代を過ごした横尾は、6年生の卒業文集にはしっかりとした文字で、「プロゴルファーになりたい」と記している。

21年ぶりの母校訪問で、なつかしい校舎で、なつかしい人たちと再会した横尾は、改めて当時の「夢」を再確認し、あの時の新鮮な気持に戻り、秋のトーナメントに挑んでいく。
  • 神谷校長先生と卒業アルバムに見入る
  • あの頃と変わらないイチョウの木の前で佐々木さんと森田さんと話す横尾

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