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カシオワールドオープン 1999

「ジャンボの強さと優しさに引っ張られてここまで来た」

 佐野木さんが最後に見守ったのは、18番パー5のピン奥約20メートルのイーグルパット。
ジャンボ尾崎の打ったボールが、カップ方向で待ち構える佐野木さんの方へめがけてまっすぐに転がって来ると、佐野木さんは腹に力を込めた声で、何度も叫んだ。「来い! 来い!」

 気合のこもった、最後の檄だった。

 ボールは、わずかにカップをそれてイーグルとはいかなかったが、バーディパットを沈めるジャンボを見つめる、佐野木さんの表情には、充実感に溢れていた。 今大会をもって、引退を表明。

 ラインを読むときの眼光の鋭さと、コースを離れるとファンにふりまく、対照的な人なつっこい笑顔が、もうツアーで見られなくなるのは寂しい。

佐野木さんの話
「今年になってラウンド中に吐き気がすることが多くなって病院に通ったら、視力から来る吐き気だと診断された。左目に乱視が入っていて、ずっとものを見つづけると、気持ちが悪くなってくる。(天候の荒れた今年の)日本オープンでは特につらかった。フック、スライス、チェックするときに、暗くてよく見えない。それで(メジャード)メモ(コースレイアウト、グリーンの傾斜をかきこんだコースメモ)を見て確認したくても、雨で濡れて、ページが開かない。

 ジャンボは近視の気があるし、オレまでラインが見えないとなると、ハンデしょってプレーしてるようなもんだ。

 それで、(エースキャディの)引退を決心した。ジャンボに話したら、せめて今年いっぱいは続けてくれといわれた。それで、この大会を最後にしようと決めたんだ。 この大会だけはまだ勝っていなかったから、ぜひ勝ちたかった。18番では、もっともっと延々とホールが続いてくれれば、と思ったよ。

 お客さんの中に『お疲れさま』と言ってくれた人がいて、ホロっと来た。 28歳のとき初めてジャンボのバッグを担いでからこれまで、マスターズや全米オープンなど思いも寄らない場所に行き、バッグを担いだことは、ほんとうに貴重な体験だった。

 ジャンボの強さと優しさに引っ張られて、ここまでやってこれたようなものだ。 勝った数も多いが、負けた数もそれ以上に多い。やはり、アメリカでやられた、という気持ちのほうが、勝利の喜びよりもいまは強いかな。

 もうジャンボのバッグを担がない、といっても、別の意味でジャンボを支えていくことはできるし、これからも男の友情は続く。

 ジャンボにはこれかれらまだまだ、勝ちつづけてもらいたいと、心から思っている。」

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