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三菱ダイヤモンドカップゴルフ 2007

丸山大輔「毎晩、考えない日はない」

2年目を迎えた米ツアーは、今季13試合に出場して予選落ちが6、棄権が2。苦戦が続いているが、スケジュールの合間をぬって、きゅうきょ帰国した今季国内初戦でも「苦しいゴルフ」。

会場の大洗ゴルフ倶楽部はもともと、難コースな上に前日2日目は大雨。
久々の日本でも、やっぱり我慢のゴルフを強いられて「たまにはバーディ合戦をしたかったのに」と、ぼやいていたものだ。

天候が回復したこの日3日目は、そんな鬱憤を一気に晴らすプレーぶりだった。
前半4バーディを奪ってリーダーボードを駆け上がると、難ホールが続く後半もしっかりまとめて、66のベストスコアを叩き出した。

初シード入りに成功した今年。ファイナルQスクール7位の資格で参戦していた昨年よりも、エントリーできる試合が増えた米ツアー。
その分、ほとんどが初めてプレーする会場ばかり。
しかも、「他の選手からもクレームが出るほど厳しいセッティングもあった」。
そんな中で、「自分を見失ないかけた」という。

それでも、コースに合わせてドローボールを多用したり、パットをクロスハンドで握るなど、試行錯誤を続けてきた。
そして攻め方。
「パー5は思い切って2オンを狙う。そして、逃げるときは徹底して逃げる。中途半端をなくし、メリハリをつけたゴルフ」。
それが、今週の難コースでも生きている。この日も、右ドッグレッグの難しい5番で潔くスプーンを握って手堅くパーを拾うなど、厳しい環境で揉まれてきた経験を、存分に発揮して単独4位浮上。

しかし、どこか満たされない気持ちは残る。
常に、頭から離れないことがある。
今年2月1日に亡くした母・敏子さん。2年前から体調を崩しがちだったが実は、悪性リンパ腫であったことを知ったのは昨年末だった。
プロとして活躍する息子に心配をかけまいと、父・幸雄さんがずっと隠していた。
いよいよ危篤の知らせを受けて緊急帰国。それから、わずか1週間後に62歳で息を引き取った。
葬儀を済ませ、悲しみに浸る間もなく再び旅立った。
再び主戦場に舞い戻った。もっと別れを惜しみたい気持ちは一杯だったが、「僕にも余裕がなかった」。
シード権保持に奔走する毎日が始まったが、「今でも毎晩思い出す」。

2005年のフジサンケイクラシック。「あのとき、初優勝を見せられた」のがせめてもの親孝行だった。
翌年の同大会にも応援にきてくれたが、そのときはすでに歩いて回ることは出来なかった。
「せっかくアメリカに行っているのだから。ハワイくらい連れていってやりたかった」。
胸によぎるのは、心残りばかりだ。

息子の活躍を何より楽しみにしていてくれた母親の死。
「あんなにつらいことはなかった」と振り返る。
千葉県・四街道市出身。「今週の会場は近いから、応援に来て欲しかった」。
こぼれ落ちそうになった涙はひとまずこらえて、丸山がツアー通算2勝目を狙う。

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