Tournament article
アジアパシフィックオープンゴルフチャンピオンシップ パナソニックオープン 2010
2010年のアジア太平洋NO.1は豪州のブレンダン・ジョーンズ
この日最終日に選んだパンツは、大会カラーと同じ深い青。主催のパナソニック株式会社の大坪文雄・代表取締役社長に着せかけられたチャンピオンブレザーと、ちょうど「上下お揃いみたい」と石川に言われて「確かに」と、頷く。
「でも偶然だよ」と、笑って返したが、まるで誂えの真っ青なスーツ姿は秋晴れの空に、ことのほか映えた。
今年の第3回大会は、初日が荒天のため中止となり、3日間の短期決戦。大混戦の最終日に4番は、540ヤードのパー5で復活ののろしを上げた。バンカーからの3打目をチップイン。イーグルを奪うと、たちまち優勝争いに加わって、改めて心に誓ったのは「全ホールでバーディを狙うような、バカな真似はしないこと」。
難コースで攻守のバランスも的確に、ラフに入れたらパーを取るための最短ルートを探る。2007年に年間3勝を上げて以来、勝ち星に見放された原因はパッティングの不振からだったが、今週ばかりは、めげずに練習を重ねたトレードマークの長尺パターも冴えて、手応えはあった。
プレッシャーを感じたのも、最後の1打のみ。3メートルのパーパットはさすがに「緊張した」というが、「真っ直ぐ」と読み切って、ホッと胸をなで下ろす。
上位陣の中で、いち早く通算6アンダーにして、後続組を待つ間も「ドキドキしていた」と口ではいうが、プレーオフに備えて血相を変えて練習に行くでもなく、むしろギャラリーにサインをして歩く余裕とサービス精神で逃げ切った。
2001年の本格参戦から順調にキャリアを重ね、ツアー通算8勝をあげながら、ぱたりと勝てなくなったこの3年間。まったくチャンスがなかったわけではなかった。昨年は5月の三菱ダイヤモンドカップでプレーオフの末に兼本貴司に敗れ、8月のサン・クロレラ クラシックでは大接戦の末に、石川に敗れた。
「でも僕もベストプレーの2位だったし、ちっとも悔しくなかったよ」と、あっけらかんと振り返る明るい性格は、日本にも根強いファンが多い。
「BJ!」と、ジョーンズを気さくに愛称で呼び、「ファイト!」とか、「頑張れ」とかのギャラリーの大声援を力に変えて、いつでもどこでも“ホーム”のような雰囲気で戦える。それが、彼の何よりの強みだ。
本人も認める「練習嫌い」。休みなく試合に出続けるのも苦手だ。今年は8月に思い切って、6週間の休みを取った。
季節が逆の豪州で言えば、「ウィンターバケーション」は、3歳になる長男キリンくんとクイーンズランドでスキーを楽しみ、「練習は毎週水曜日だけ」と、徹底してリフレッシュ。
そして、舞い戻った復帰第2戦に結果を出して、長期休暇の効果を証明してみせた。
アジアと日本ツアーに賞金が加算される今大会は、同時に両ツアーのシード権が得られる。アジアンツアーの広報からこの先の予定を聞かれたが、済まなそうに首を振る。
「多分アジアはオフに、何試合か出るくらい。僕の主戦場はここだよ。だって、日本ツアーが大好きなんだ!」。
陽気なだけではない。めっぽう強いオージーが、帰ってきた。