Tournament article
中日クラウンズ 2011
高山忠洋はご当地プロとして狙う、初の王冠
一念発起でゴルフに転向。卒業してすぐにプロゴルファーを目指し、岐阜県の法仙坊ゴルフ倶楽部に研修生として入った。
その年、18歳の春。慌ただしくキャディ業務を終えて、午後から会場にやってきた。ゲート入りするなり見えてきた18番ホール。
「横尾さんが、ちょうどセカンドショットを打った瞬間だった」。
怒濤のように沸き起こったギャラリーの歓声。「いまも耳の奧に残っています」と懐かしそうに振り返る。
「ここでいつか自分も優勝争いを」。心に誓った青春時代だ。
デビュー戦もこの大会。
こちらは、ほろ苦い思い出。
2000年。前年の99年にツアーで初めて行われた予選会「クォリファイングトーナメント」のファイナルには進出していたものの、この中日クラウンズはQT組にはなかなかチャンスが巡って来ない。「推薦で出させていただいた」。
しかし、当時はクラブを握ってまだ実質4年目。
「怖さを知らなかった」と苦笑いで振り返る。1番パー4で、チップインイーグルを奪い、そのあと3連続バーディを奪うロケットスタート。
さらに後半は11番でまたもや第2打を直接入れて、1日2度のイーグルと、初戦で華々しいスタートとなるはずだった。
「でも上がりホールで見事に和合の風にやられた」。
13番からボギー、ボギー、ダボ、パー、ボギー、ボギー・・・。「アドレナリンも出過ぎていた」と、見事な乱打で上がってみれば1アンダー。そればかりか翌2日目には79を打って、予選落ちした。
「完全な経験不足」と、懐かしい目をした。
あれから11年。今年は開幕戦で2度目のV4を挙げ、十分にキャリアアップしての会場入りだ。大会の地元・愛知県犬山市に住んでもう8年。
もともと出身の「和歌山の色は、周囲にはほとんど無くなっているみたいで」。
もはや、ご当地プロとしての期待を一身に集める。
「ひいきにしてくださる方も増えて、ぜひ恩返しがしたい。毎年変わらずそう思ってます」と、本人もその気持ちが強い。
だが、プロ12年目を迎えても、やっぱりここ和合は難攻不落。
「狙って取れるものじゃない」。
何度も「自爆」を重ねているだけに、コースの怖さは骨の髄まで沁みている。
「行きたい気持ちと、抑制をいかにうまくコントロール出来るか。最後の18番までいかにメンタルで、上手に乗り切るか」と改めて肝に銘じた。
初日は、やはり地元出身で先週優勝の近藤共弘と、ディフェンディングチャンピオンと同じ組。石川遼とのラウンドに、大勢の注目を集めることは必至だが「自分を見失わないようにしたい」。
今週はせっかくコースまで車で40分の自宅通勤も、毎日、夫の18ホールについて歩いて支えてくれる妻の梢さんは、先週の寒さにやられて風邪で寝込んでいる。
「土日には、出て来られるかな」。
ぜひ地元で内助の功に報いるためにも、出遅れは絶対に許されない。