Tournament article

日本オープンゴルフ選手権競技 2012

久保谷健一が77代目の日本一に

一度引き上げた18番グリーンに、今度はチャンピオンとして舞い戻ったが半信半疑だ。
第77代目の栄冠は、ふいに転がり込んできた。早々に、帰り支度を始めたときだった。関係者に引きとめられた。「まだ帰れませんよ」。2つ後ろの最終組のパグンサンが、17番で池に入れたという。ダブルボギーで通算8オーバーは、久保谷と首位タイ。プレーオフの可能性にも難コースとの戦いに、体はヘトヘト。その場に座り込みたいのをこらえて練習グリーンに向かった。「せめて恥をかかないように」と始めた練習も、すぐに必要なくなった。

18番でパグンサンがボギーを打って、ツアー通算6勝目は降って湧いた日本一。6打差からの逆転は、大会最多も「上が崩れて自分が上に行くのって。喜べと言われたって、喜べない」。複雑な思いで表彰式に臨んだ。記念撮影で「笑って」と頼まれても頬は引きつったままだった。

本人には前日の3日目に、大会は終わったも同然だった。「7番でおかしくなった」。短いパーパットがカップに蹴られた。「初日から思うようにいかない。手が上がらない。どこに打つかも分からない。あぁまた来週頑張ろう。今大会はまた来年」と、とっくにさじを投げていた。

最終日は首位と6打差の6位タイにもどうにか今の順位を死守しようと、ただそのためにあの手この手で取り組んだ。同組の池田勇太は風邪気味でも、「僕はパターが病気みたい」とV争いのさなかにも、試したパッティングスタイルは4パターンにも及ぶ。
「足をすぼめたり、短く持ったり、握り方を変えてみたり。入らなくてもいい。距離感だけは合わせたい。でも結局3パットの距離が残って最後はやりようがなくなった」。

万策尽きたとの思いとは裏腹に、スーパープレーの連発は「“どうせダメだから攻撃」。
8番で、左のラフからチップイン。
10番のパー5(536ヤード)では、196ヤードの2打目がピンに当たった。7アイアンで、あわやアルバトロスの2メートルのイーグルチャンスは「本日3つめのスタイル。強いっ、と思ったのが真っ直ぐに入ってくれた」と、生きた心地もしなかった。13番は奥カラーからパターで「完全パンチ」の8メートルも転がり込んだ。18番は最後に1メートルもないパーパットも「目をつぶって打ちました」。

昨年のこの大会は裵相文(ベサンムン)とのプレーオフに負けても「この男には絶対勝てない」と、思っていたから思い出しても悔しくはない。今年はあのリベンジなどもってのほか。
同じ40代だが、藤田寛之や谷口徹が憧れだ。「僕に足りないのは、2人のような精神力とショートゲーム」と自覚するにつけても、「僕はこの大会に、照準を合わせて来られるほどの選手じゃない」。

連日の強風も「ギャラリーは、風で曲がったと思ってくれる」と、不振のショットもごまかせた。
オーバーパーの優勝も「難しくても、そうじゃなくても僕の場合はスコアは一緒」と本人には充実感のかけらもない。「こんな大会で、僕みたいな選手が勝ったらまずい」とは、謙遜ではない。
「平塚あたりが勝たないとダメ」と、本気で言った。「グリーン周りに圧倒的な自信を持っていた。ヤツが一番近いと思ってた」。日本オープンは、まず難コースとの戦いに「若くてガンガンに行く選手でも、曲がらないヤツでもダメ。メリハリをつけて、いかにグリーン周りまで持って行けるか」。

そういう意味でも、練習仲間で飲み仲間こそ、もっともふさわしいと思っていた。「哲二が勝って僕が2位で。シードが決まったというのが一番ハッピーだったのに」と、妙な“タラレバ”を真顔で言った。大会が、始まる前から「今週は、低い球が打てる人間が上に来る」と、予言していた。「孔明や勇太とか、やっぱり上に来たでしょう?」と、変な自慢も飛び出した。

「どうしたら気持ち良く振れるのかと、思いながらやるのは試合じゃない。曲がる曲がらないより、試合になればどうスコアを作っていくかを考える人間が本物」。それが分かっているからこそ「僕は試合が始まってもまだどう振ろうとか、やってるわけですから。そんな人間は普通、勝たしてもらえない」。
いかに自分がこのタイトルにふさわしくないか。記者会見で延々と説き続けた。地元ファンにも「こんな地味な人間ですが」と、済まなそうに頭を下げた。

「やっとの思いで通った矢先に、こんなことが起きるなんてまさにミラクル」。先週は、連覇をかけたキヤノンオープンで9試合ぶり、今季7度目の予選通過に2日目も、3日目の夕方も陽がとっぷり暮れてもまだ久保谷は練習グリーンに居残った。
翌日のために、芝を刈ろうと待ち構えていたコース管理のスタッフが、しびれを切らして機械を入れた。それでもまだ動かない。久保谷がいた場所だけを残して芝刈りは終わった。なお、ボールを転がし続けた。「引っかけ病が治らない。どうしても手が悪さする。年内に長尺か。いや、それはまだ早いかと葛藤してた」。池田のパットを見て「どうにかして、盗めないものか」と躍起になった。「でも勇太は完璧に手が動いている。自分には無理」と、余計に滅入った。

自分は優勝には値しない選手だと、思うからこそ人一倍に努力する。「人よりは、どうにかしようと頑張っている」。練習量では誰にも負けない。そこだけは、自分を誇れる部分。「今週は、風がどうこうよりも、ピン位置よりも、自分のパターがまともに打てるかという戦いがありました」。
他の選手とでもなく、コースとでもなく、久保谷は己との勝負に打ち克った。「苦しかった」と振り返った。それでも、逃げずに正面から向き合った。誰もが難コースと格闘する中で、ひたすら無欲に自分のゴルフを追い続けて、気づいたら頂点に立っていた。
2002年の日本プロに続くメジャー2勝は、6打差から大会最多の大逆転。
「神様は、見ていてくれたんだな」。最後にやっと自分を褒めた。
  • 栄光のチャンピオンブレザーに袖を通しても「実感が沸かない」
  • 今年、大会は本土復帰40周年を記念して、初の沖縄開催に仲井間知事から副賞をいただいても表情はひきつったまま・・・
  • 「僕が勝ったらまずい」とまで言い出す始末だ
  • ボランティアのみなさんに祝福を受けても、ふいの日本一に内心は「喜べと言われても、喜べなくて・・・」

関連記事