Tournament article
ゴルフ日本シリーズJTカップ 2012
師匠の心さえ突き動かした、藤田寛之の頑張り
実現すれば、最高のシナリオ。「藤田が目標にしている世界ランクも確実に上がるしね」。
自分で言っていたくせに、芹澤信雄はさっそく初日に度肝を抜いた。
藤田が61をマークして、3打差の単独首位に立っていた。芹澤はすぐにメールを打った。
「あんたは凄い、本当に尊敬するよ」。
出会いから17年。藤田にとって、師匠の言うことは、絶対だ。今もそれは変わらないが、まさかこれほどの偉業すら、自分の言ったとおりに成し遂げるとは。
藤田のデビューから2年後の1995年。熊本で行われたトーナメントで、こちこちに緊張しながら芹澤の前に立った藤田は、「いつか一緒に練習ラウンドさせてください」。
「いいよ、じゃあ今から行こうか」と芹澤が快諾すると、藤田は恐縮しきりでついてきた。
藤田はいつも言う。「ゴルフも、人柄も、芹澤さんの何もかもが大好きなんです」。
近頃では、それを聞くたびに「やめてくれよ!」と、芹澤は思う。
「恥ずかしくて・・・。尊敬しているのは俺のほう」。
藤田にとって、芹澤の言葉は「神の声」。芹澤がアドバイスをしたことに、藤田が反論したことは、一度もない。芹澤の言うことを素直に聞き入れ、即実践する姿勢に変わりはない。
「だけど、最近は少し食い違うこともある」と芹澤は感じている。昨年は、藤田が初めて挑んだマスターズ。テレビ中継のリポーターとして、弟子の勇姿を見守った芹澤も、「1番で藤田の名前が呼ばれたときには、鳥肌が立った」。
一方で、「きっと藤田のこれが最初で最後のオーガスタ」。ひそかにそう決めてかかったものだが、良い意味で当てが外れた。
メジャーに挑むたび、藤田はパワーの差に打ちのめされて帰ってくる。「大変だっただろう」と芹澤がねぎらうと、一応は「はい」と答えながらも藤田はそのあと決まっていうのだ。
「でも凄く楽しかったです」。
「こいつ、おかしいんじゃないか」と時々、弟子が怖くなる。「打ちのめされて、跳ね返されて、それでもどうしてまた懲りずにまた頑張ろう、と思えるのか」。求めるスイングの精度も年々高くなり、「曲がり幅も、その程度ならいいんじゃないか」。芹澤が言っても「いやこれではダメなんです」と近頃、藤田は言ってきかない。
「むしろ、まだ練習するというので、もうやめなよ、体をこわすよ、と」。師匠の説得も聞かずにまた練習場に向かうのだ。
藤田の頭の中には常にメジャーの舞台があって、2人の妥協点にも微妙に温度差が出てきて「あいつと近頃、よく食い違う部分。今では、俺が教えるレベルのかなり上を言っている」と、芹澤はとっくに置いてきぼりを食った気分だ。
弟子の向上心には、師匠でさえ驚異を覚える。「43歳ですよ。僕はちょうどその頃からつらかったから」。40歳を超えても高いレベルでモチベーションを保ち続けるのは、容易ではないと芹澤も経験で知っている。
「それに何よりあの体。ジャンボさんの40代なら分かるんです」。しかし、藤田は身長168センチ。「それなのにそんな体で40歳を超えてから、あいつは9勝もしてるでしょう。普通は気持ちがどんどん萎えていくはずなのに、むしろあいつはますますモチベーションが上がっていく。おかしいですよ」と、芹澤は言った。
まさか、ここまでになるとは思わなかった。「賞金王は、むしろ宮本の器だと思っていた」。デビュー当時から、圧倒的な飛距離で、アドバンテージを取った兄弟弟子の宮本勝昌。「でも藤田は僕と同じタイプの選手で、毎年1勝を重ねて常にシード権を守っていくような・・・。そういう選手を目指せと昔から言ってきた」。
ここでも師匠の目算は大きく外れた。弟子の成長過程を目の当たりにするにつけても、「人間、努力を続ければここまで進化できるんだな、と」。今は逆に、弟子に教わることばかりだ。
今年、70歳を迎えた青木功も言っている。「ピークは今」と。「ピークは自分が諦めたときに終わる」と。「俺も負けねえ、という気持ちがあればお前もやれる」と芹澤は、弟子の応援に駆けつけたはずだったこのツアー最終戦で、逆に青木に励まされた。
どうやら藤田も、これほどの栄光を極めても、まだこれがピークとは、思っていないようだ。むしろ来年のマスターズに向けて、いっそうの死闘を開始しそうな気配さえする。本人は「オーガスタのハードルがあまりに高いので、超える自信がない。年齢的な限界もある」と、口では言っているがそれもどうだか。
「俺も頑張ろう」と、我知らず芹澤はつぶやいていた。弟子に負けじと「僕はシニアで賞金王を狙います」。弟子の勇姿に触発されて、つい青木にもそう宣言していた。