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日本オープンゴルフ選手権競技 2013
連覇を狙う、久保谷健一
「ゴルフが病気」と、会場のミュアフィールドに行く前から、ぼやいていたから、通算13オーバーの予選落ちにも、さばざばとしているのかと思ったら、「悔しい・・・」。
いつも諦めムードの男が無念さを、隠さなかった。
毎日、強い風が吹くリンクスコースは加えて、主催者が威信をかけて施すコースセッティングがまた輪をかけて、難しくしていると、久保谷は感じたという。
「左からの風に対して左のピンとか、右に対して右のピンとか。相当の技術を持っている人じゃないと、寄らないようになっている」。久保谷には、風向きさえ計算されたようにも感じられるピン位置に、「俺も、なんかやってやりたかった。最後までドキドキする位置でやってみたかった」と、一矢報いる活躍を胸に秘めて戦ったのに、ただひたすら打ちのめされ続けたという惨状に、さすがの久保谷もふつふつと、闘志をかきたてられずには、いられなかった。
この思いを、日本で晴らしたいと思った。
「難しい中でも耐えるというのを、日本オープンでやってみたいと思った」と、久保谷は言ったものだ。
前回はやはりミュアフィールドで行われた2002年の全英オープンと、2009年大会と。そして、2011年の全米オープンを合わせてメジャーで3戦連続の予選通過記録も途絶えてしまって、「今度はせめて、あそこで耐えるというのをやってみよう。日本でやる気になってみよう。うん、そうしてみよう。それがいい」と、独り言のようにつぶやいていた。
昨年は、沖縄でおこなれた第77回大会は、本人もまさかの6打差から大逆転Vを達成。さらに前年のこの大会では裵相文(ベサンムン)とのプレーオフに敗れたが、「この男には絶対勝てない」と、完全なる諦めモードに、リベンジなどという野心なども毛頭なくて、それだけにまさに1年越しで転がり込んできた日本一のタイトルにも最後まで、ボヤキ通した41歳が、リンクスコースでつぶやいたあの言葉を覚えているか。
あのとき誓った思いはまだ、続いているか。根っからのマイナス思考がこの3ヶ月の間に心変わりをしていなければ、良いのだが。