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日本オープンゴルフ選手権競技 2015
ありがとうクリス
日本で活躍する海外選手たちなら、誰もがまず最初に世話になったといってもいい。正式なマネジメント契約を交わしていなくとも、何らかの形でクリスさんに助けられたという日本人選手も多い。
「困った選手がいたらほっとけない。本当に優しい人でした」と、振り返るのは韓国のベテラン、I・J・ジャンだ。2005年の初参戦からだから、丸10年のつきあいになる。「この試合なら、どのホテルがいいか。レンタカーはどこで借りるか。何でも知っていて、本当に頼りきりでした」というジャン。事情があって何度か、他の人に試合のエントリー業務をお願いしたことがある。
「そしたらみごとにミスされて」。すぐにまたクリスさんに頼るようになった。
そんな完璧な仕事ぶり以上にジャンが励まされたのは、いつも絶やさないクリスさんの笑顔だったという。
「先週も電話で話したばかりだったんです。ちょっと声に元気がないように思ったので、励まして電話を切ったのですが・・・」。それが最後の会話になった。
今年は4月の中日クラウンズで大会2勝目を挙げたときにも、わざわざ会場まで祝福に駆けつけてくれたクリスさん。和合の18番ホールで一緒に撮った写真が、最後の1枚となってしまった。
韓国の選手たちにも、すぐに訃報を伝えて回った。後輩の金亨成(キムヒョンソン)はその日、5オーバーを叩いてずいぶんクサっていたらしいが「そんなことより、クリスが死んじゃったよ」とジャンが伝えると、あまりの動揺に亨成(ヒョンソン)のストレスも吹き飛んでしまったという。
次週にも、手術を控えていたのにそれを待たずに逝ってしまったいう話を聞いて、「スコアを叩くことなんか、たいしたことじゃない。それよりまず体が元気でゴルフが出来ること。それを感謝して生きようと、ヒョンソンとも話したんです」(ジャン)。
クリスさんを偲び、決勝ラウンドから喪章をつけてプレーした選手たち。藤田寛之は、「僕ら選手たちにとっては、本当に頼りになるお姉さんというような存在でした」と、振り返った。「僕は若い時に、クリスさんに新しいクラブ契約先に変わるきっかけを、もらったりもしたんです」。プロ人生の節目節目で、クリスさんの存在があった。
特に、いま愛用のスコッティキャメロンのパターは、当時の藤田には、まだなかなか手が出せなかった名器も、一番最初に使えるように働きかけてくれたのも、クリスさんだった。「僕だけじゃない。彼女にお世話になった選手は本当に、数知れない。感謝してもしたりない人です」。ツアーにとっても大切な人を失った。