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HEIWA・PGM CHAMPIONSHIP 2015

谷原秀人が総武で“連勝”、ツアー通算11勝目

後輩との雨中の直接対決を制した。2年ぶりのツアー通算11勝目は、思い出のコースで「2連勝したような気持ちです」。3回大会から会場を移したここ総武カントリークラブは、2007年のサントリーオープンでツアー通算5勝目を飾ったコースでもある。

同オープンは、その年をもって35回という長い歴史の幕を閉じたこともあり、チャンピオンとしても、いちプロゴルファーとしても、あのときはずいぶん寂しい思いをしたものだ。「またここに帰ってきて、優勝できたことは、非常に感慨深い」。

思い出の地で、昨年大会では2位タイに終わったリベンジにも成功した。2位と2打差の最終組で出た最終日は、同組に「諦めの悪い後輩がいましたね」。東北福祉大の11歳下の藤本佳則。「一度は消えたと思ったけれど」。この日もまた序盤でまんまと突き放したと思ったら、結局2打差の“ワン・ツーフィニッシュ”。「あいつとは、本当にいつも一緒に居すぎて」。藤本も、言ったものだがたまに同組で回ると「試合が試合でなくなるのが、良くなかった」。公私ともに仲良しの後輩は、前夜も「普段なら、一緒にご飯を食べていた」。しかし今週はたまたま宿が別で、馴れ合いにならずに済んだ。悪天候の今朝はピリッとした空気の1番ティで相対して「ラウンド中も、お互いほとんど口もきかずにメリハリつけて、集中が出来ていたと思う」。

一度は2位に5打差をつけた先輩を、猛然と追いかけても「谷さんは、ボギーをなかなか打たない。お手上げです」。藤本も舌を巻いた谷原の5番、6番のパーセーブ。「アプローチ、パターで勝負するっていうのはやはり谷さんの持ち味」と、後輩も言った通りに本人も「8番の“どスライス”は、10発打っても一発も入らない」。9番では6メートルのチャンスも逃さず「あの2発に尽きる」と、12年から3年連続の平均パット1位が雨の中でも火を噴いた。

たっぷりと水分を含んだ芝生は「笑えるほど球が飛ばなかった」と1番手ずつ、クラブ選択を上げる難条件は、メーカーとこだわりを尽くした特注クラブが救った。プロには珍しいカーボンシャフトのマッスルバックはその分、キャビティ並みのデカヘッドを装着して、「打ち出し角が高く、スピン量の多い球が、簡単に打てるようになった」。ドライバーと3W、5Wには今週から、従来より20g増の85gのシャフトを刺す初の試みに「これも当たった」。重いクラブで格段に、安定感を増したショットで改めて、“TEAM HONMA(チーム本間)”の技術と結束力をアピールしてみせた。

「子どもたちにも頑張っているところを見せられた」。2013年に設立したジュニアファンデーションは多い年なら200人余の会員を集めて、夏には自身の名を冠した地元広島でのジュニア大会は、今年も大盛況のうちに第9回を終了したばかりだ。「これからも、ゴルフ人口増加のためなら何でもやりたい。主催のPGMさんと、思いが重なる部分」と底辺拡大にも奔走する中堅には、その点でもひとしおだ。

今月16日には37歳の誕生日を控えて、「最近、いっぱい寝ないと回復しない。昨日も9時に寝ましたよ」と、体力低下も否めない。自身も2006年に、米ツアーに挑戦した身として「英樹も寛も、強くなったな」。大学の後輩たちの海の向こうの活躍にも、近頃ではどこか父親目線で「やつらが頑張っている姿が嬉しい」と、傍観するにはまだ早い。「自分もあいつらの刺激になりたい」。

そして、何より家族のために。長男・悠人くんと、応援に駆けつけた愛妻は、涙をこぼして「一番の親孝行になりました」。
父・直人さんが、胃ガンの宣告を受けたのは6月。そこに自身の首痛や、新車の盗難事件も重なり、「不幸続き」に思えたこの夏。「俺たちが、何か悪いことをしているからじゃないか」。思い悩んだ夫婦は、神社にお祓いにも行った。
直人さんには「また来年、頑張ればいい」と、病床で励まされても、「いつどうなるか、オヤジがあと何年持つかも分からない」。
ひそかな焦りの中で、やっと一番新しい勝ち星を捧げることが出来た。
一番つらかった時期に、夫婦で励まし合った。「悪いことばかりが重なれば、あとは良いことしかないよね、と」。谷原家に再び希望の光がさし始めた。
「良くなればまた、もっと僕のゴルフを見てもらえる」。
治療の限りを尽くして幸い、いまは父の容体も安定しているという。先日は「7ホール、ラウンドが出来た」と喜んでいた。
「オヤジが元気で、やる気になってくれることが、今は一番嬉しい」とこの先の残り4戦も、父を思って戦うつもり。

国内最高の優勝賞金4000万円を加えて、これで賞金ランクは3位に浮上も金庚泰(キムキョンテ)との差はまだまだ遠くて「もう1個じゃ足りない。もう2個は勝たないと」と、2000年には残り4戦中3勝の大逆転を演じた過去5度の賞金王の例を励みにする。「あのときの片山さんみたいに、今年あと3勝するくらいのつもりでやる」。
自分が頑張る姿こそ、父には何よりの薬と思うからだ。

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