Tournament article
ダンロップ・スリクソン福島オープン 2015
プラヤド・マークセンが49歳のホストV
この日駆けつけた大ギャラリーは5488人。「松山選手を見に、たくさんの人が足を運んでくださって。大会は大変盛り上がりました」と、身長163センチの小さな巨人も、23歳の若きホストプロに負けてはいない。来年は50歳を目前に、ガッツあふれるプレーで逆転Vをさらった。
この日、最終日に還暦を迎えた室田淳が明かした。「マークセンは、今日もぜんぜん暑くないらしい」。こんなにも蒸し暑い日本の夏も、確かに先月の日本とワンアジアの「シンハコーポレーションタイランドオープン」では、今週の比ではなかった。
マークセンのひとつ前の組で回っていた宮里優作も、振り返って衝撃(?!)の光景を目の当たりにしていた。
「マークセンは、日傘もさしていなかった! 涼しく勝っちゃいましたね」と、あまりの強さに呆れた。
46歳の藤田は、「あの人、何なんですかね。来年はシニアでしょ?」と自分のことすら棚に上げ、最終日は気温33.5度も「彼にはちょうど良かったんじゃないでしょうか」と、あっぱれの勝因をあげた。
来年の誕生日で50歳を迎える今も、ランニングやトレーニングを欠かさないのはもちろん、若いころからタバコもやらず、酒は控えめに、「強いて言うなら早寝早起き。それが元気の秘訣かな」。
幼いころは、サムローと呼ばれる人力タクシーを引いて、子どもながらに家族の生計を助けた。はからずも、その際に鍛えられた強靱な下半身は、49歳の今も「痛いところは、どこもない」。忍び寄る年波には「確かに、飛距離は徐々に落ちているとは思う」。とはいえ、小さな体を目一杯使う豪快ショットは、若手に混じってもひけを取らない。
この日の朝は、宿泊先のホテルの朝食バイキングで、お皿に山盛りのサラダを食べている姿を関係者が目撃している。「野菜をたくさん食べるようにしたり、食事には気をつけています」と、スタミナもりもり。
うだる暑さもコースの傾斜も軽やかな足取りで、猛烈にバーディを重ねていった。2打差の3位タイから出た最終日は、白熱の大混戦でも涼やかに、14番で頭ひとつ抜け出ると、16番では1メートルを沈めて「きっとこれで勝てる、と」。勝利を確信しても、攻撃の手は最後まで緩めずに18番でも、1.5メートルのチャンスを逃さず、ただひとり追いつくチャンスを残していた後ろの最終組の、まだ若い24歳の宋永漢 (ソンヨンハン)をはねつけた。
母国タイにもダンロップの工場があり、「いつも手厚いサポートをしてもらって助かっています」。前のクラブメーカーとの契約満了を機に、移籍してきた自分を支えてくれたスリクソンのスタッフには、本当に感謝している。契約初年度から今年にかけていうならアジアンツアーでの1勝を含め、そのほかツアー外の地区競技も合わせると8勝をあげて、すでにスポンサーへの信頼には絶大なものがあった。
先週もタイで行われた地区オープンで、プレーオフの末に2位と、絶好調でやってきた今大会で、今季初V。スポンサーの“母国”でこそ、ぜひ優勝で報いたかった。日本ツアーで通算5勝目は、契約後初のホストVという、何よりの恩返しが出来たことも嬉しかった。
昨季は5月に、最愛の妻パパーポンさんを亡くした。4年ものガン闘病は、長く妻を苦しめ、数百万円にも及ぶ高額な治療費を稼ぐのに、夫も苦労に苦労を重ねた。「家族はみな大変な思いをしましが、安らかに天国に旅立った妻も、今回の優勝を喜んでくれていると思います」。あの大震災から4年目の福島でタイのベテランが魅せた渾身プレーは、大切な人を亡くした悲しみを乗り越えて、自分は元気で頑張ってると、天国の妻に伝えるためでもあった。