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ダンロップ・スリクソン福島オープン 2015

松山英樹は、聖地から福島へ・・・・・・!

今年5年ぶりに英スコットランドのセントアンドリュースで行われた第144回全英オープンは、史上もっとも長い戦いとなった。悪天候による順延で、27年ぶりに月曜日に持ち越しされた最終ラウンドは20日に行われたが、勝者は72ホールでも決着がつかず、1番、2番、17番、18番の4ホールによるプレーオフに突入した。

ザック・ジョンソンがマーク・リーシュマンと、ルイ・ウェストヘーゼンとの死闘を制したのが夜の8時前。松山も、この長丁場に加われる可能性は十分にあった。

1番で、90ヤードの2打目を手前2メートルに乗せて、さい先の良いスタートを切ると、5番パー5ではピン奥4メートルの2オンに成功して、バーディを重ねた。
7番では奥2メートルにつけて、2桁アンダーに乗せた。

「途中まではうまくいっていた」。
10番ではピンそばの“お先に”バーディで、通算11アンダーは一時は首位と1打差まで迫った。
「10番までに、どこまで伸ばせるかが勝負。ここからさらに、3つ4つは絶対に必要になってくると思っていた」。

しかし、オールドコースは最北端の12番で折り返すと、そこからひたすら強い向かい風を受けながら、クラブハウスに戻ってくるという、過酷なレイアウトになっている。「4日間ともここから伸ばしきれていない。コース的に難しいのはあるが、そこで耐えきれなかったのは残念」。

大会“5日目”もまたインコースを攻略しきれなかった。12番では1メートルを外して3パットを契機に、ボギーが立て続いた。「なんとか持ちこたえながらやっていたけど、なかなかバーディにつながらなくて、最後のほうはパーを獲るので精一杯」と、この日もそこから天を仰ぐシーンばかりが目についた。

15番、16番ではティショットを立て続けにブッシュに入れた。連続ボギーに「まだここのインコースを攻略するだけの力がないのかなと思う」。
松山にとっては初の“聖地”に大きな課題を残した。

悲願のメジャー制覇についても「いやだなって思うところで、しっかりとショットを打ち抜く強い気持ちだったり、技術だったりが必要です。今の自分には、何かが足りない」。
しかし、遠い夢物語でもなかった。
「試合をやりながらじゃないと、なかなか磨けない部分。特に優勝争いをしながらじゃないと、難しい部分。これからも、どんどん優勝争いが出来たらいい」。怪物は目標に向けて、着実に歩を進めている。

今年第3のメジャーは波乱の展開に、帰国の予定は大幅に狂ったが、今週は久しぶりに日本ツアーに帰って大事なホスト試合に臨む。昨年、誕生したばかりの「ダンロップ・スリクソン福島オープン」は、米ツアーに本格参戦を果たしたばかりということもあり、記念の第1回大会は出場を見合わせた。

その後、米ツアーで嬉しい1勝をあげて、昨年11月のダンロップフェニックスに続く凱旋の地を、ここ福島県に決めたのにはわけがある。

東北福祉大時代を過ごした第二の故郷が未曾有の被害を受けたあの年。松山は、初のマスターズを控えていた。こんな大変なときに、日本を留守にしてもいいのか。葛藤する松山を、快く送りだしてくれたのが福島を含む東北地方のみなさんだった。

そして、あのときオーガスタでみごと日本人として、ベストアマという称号を持ち帰った松山は、「アマチュアでプレーしていたときも、プロ転向して米ツアーで戦うようになっても常に、僕に出来ることはないかと考えていた」。そんな気持ちで心を一杯にして松山は、いま帰国の途についている。

結局18位タイに終わった今年の全英オープンについては「優勝を目指していたのでこの位置で終わるのは悔しいし、不甲斐なく思う」と語った。「今週は、この悔しさをぶつけて優勝を目指していけたらいいなと思う」。
聖地に置いてきた悔しさは、ここグランディ那須白河ゴルフクラブで晴らしてみせる。
松山が、福島のゴルフファンを喜ばす・・・!!

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