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三井住友VISA太平洋マスターズ 2016

松山英樹が初の完全V、大会最多アンダー記録で国内連勝

最終日も朝からぽっかり浮かんだ富士山が、一部始終を見ていた。世界ランク7位で舞い戻った御殿場。日米ともに、自身初の完全優勝で世界遺産にこの5年の成長ぶりを存分に見せつけた。

このひと月で、日米合わせて4戦3勝。国内は日本オープンからの連勝で本当に、先輩らの賞金レースの邪魔をした。今大会は今年から、優勝賞金1000万円増の4000万円をあっさりと懐に収めた。このひと月で、日米合わせて3億円超を稼いだ。大会の最多アンダー記録(※)も塗り替えた。
2位と7打差つける圧勝でも世界レベルのゴルフで最後まで、大観衆を引きつけて離さなかった。

あれは忘れもしない。「今日と同じ11月13日でした」。2011年には劇的イーグルで、石川遼に次ぐ史上3人目のアマVを飾った御殿場の18番。丸5年ぶりの大会2勝目は、2打目を池に入れてハラハラさせた。打ち直しの4打目は、70ヤードから62度のウェッジで、強烈なバックスピン。今度こそピンそばにくっつけてワクワクさせた。「あれが入ればもっと格好良かった」と悔しがって笑わせた。

この日の朝刊にあった。日本ツアーの72ホール最多アンダー記録は28。
「出せないことはない」。
6打差の首位から出たこの日は本当は、63を出して記録更新する気で満々だった。
さすがにそこは諦めるしかなくなったのは6番だった。左の林の木の根っこにくっついた2打目。
痛めた左手首をかばってアンプレヤブルを宣言。いったんフェアウェイに出してからの4打目は、風に流され今度は池ポチャ。
ダブルボギーに続いて、ワンオンに失敗した7番では2打目のミスでボギーとして、宋永漢 (ソンヨンハン)との差は3つに縮まり「しんどくなった」。
大声援が聞こえた。
「頑張れ!」「これから、これから!」。
窮地に立たされたことで、ますます大ギャラリーが味方についた。「凄く助かった」。

個人戦としては、日本人初のWGC制覇にもはや、国内なら勝って当然の空気は、いくら怪物でもプレッシャーには違いない。
だがむしろ、松山にはそれが「ありがたい」。
ファンに期待されること。
「それに応えられる選手でいたいと思う」。
その強い思いこそが、成長の糧。
「期待がなければ選手としての成長度合いも変わる。僕には期待してくださる方がたくさんいる。応えるために、必死でやろうと思う。遼と自分はほかの選手に比べて恵まれている」。

大きな期待に応え続けて今がある。日本での勝ち方は、もはや心得ている。
主戦場のアメリカ。「3日ハマらないと勝てない」。だが日本では「1日ハマれば接戦でも勝てるとわかってきた」。
この3日間で、すでに十分すぎるほどの基盤は築いてあった。窮地に立たされてからこそ、別次元の見せ所だった。いよいよ日曜日の後半こそ独壇場だった。

11番は傾斜のピンに向かって、グリーン左手前のラフから1.5メートルにつけた。
13番のパー3は入りかけ。
15番は、花道から50センチに寄せた。
再び一気に下位を引きちぎった。
16番は3.5メートルを沈めてついに大会新の通算23アンダーに到達した。

海外で揉まれ続けて、久しぶりに帰ってきた御殿場で、久しぶりに見上げた霊峰は「こんなに大きかったっけ・・・」。
最終日はついに一度も雲に隠れず、「綺麗だなと思いながら見ていた。富士山を見ると落ち着いた」。
世界ランク7位が世界遺産に負けないくらいに、ビッグな大会2勝目を飾った。

戦い終えて、また延々とペンを走らせ続けた。連日、ファンが作る長打の列に、一人残らず応えるのには使命感があった。
「僕が日本にいて、たとえば1日1000人くらいのサインが毎週続くなら、体力的にも持たないかもしれない。でも年間2試合しか出ない中で、断っているようじゃだめだと思う」。
サインをした子に「ありがとう」と礼を言われてニッコリ笑った。
陽が傾いてもまだ御殿場の空に、くっきりと浮かんでいた。
2週後には、石川遼とワールドカップで、丸山&伊澤に次ぐ14年ぶりの日の丸掲揚をねらっている。
日本が誇るエースが浮かべた優しい笑顔を富士山が、いつまでも見下ろしていた。

※昨年まで大会の最多アンダー記録は2004年のダレンクラークが記録した通算22アンダーでした。

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