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レオパレス21ミャンマーオープン 2016
ゴルフでミャンマーと日本の橋渡し! 池田勇太はまだ走る
最終日は「主催者の方々のためにも少しでも上で」と、並々ならぬ気合いで前半は、4つのバーディを奪いながら後半の失速には、「活躍できなかったのは、凄く悔しい」と、自分への怒りが収まらないが、それだからこそ、「来年の今大会こそ、もっとしっかりやりたい」と、上がって早々にリベンジの思いが吹き出していた。
3年ぶりに今大会を復活させたタイトルスポンサーの「レオパレス21」の深山英世(みやまえいせい)社長との出会いから、2年でここまでこぎ着けたという思いと、「やっと第1歩」という思い。
昨季まで3年連続の選手会長の集大成のひとつは、あくまでも新会長の優作を立てながら、会場ではひそかにおもてなしに奔走していた。
火曜日の前夜祭や、水曜日のプロアマ戦でも、接待役に徹しながら、スポンサーのみなさんの顔色をうかがい、「みなさんに喜んでいただけたようで、それが一番嬉しかった」と、一つ安堵の息を吐きながらも「とにかく、ハッピーエンドで終わらせたい」と、この日の最終日はその日の夜10時のフライト予定も、ホールアウトしてすぐにコースから、大会指定ホテルの「ノボテルヤンゴンマックス」に舞い戻った。
翌月曜日の8日は、プロアマ戦の第二幕。「アフタープロアマ」が行われ、その前夜祭がこの日夜6時から行われることになっており、池田はアフタープロアマには出場出来ないが、スピーチと接待をすることになった。
ヤンゴン市内は日曜日の大渋滞で、移動は困難を極めるがそんなことは厭わない。
「最後まで喜んでいただけるように。最大限のおもてなしをしたいんです」と、池田は力をこめた。「喜んでいただいて、それをまた来年、再来年につなげていけますように」。そのためにも毎年、毎年、成功を重ねていって、スポンサーのみなさんとの信頼をより強固なものにしていかなければ。
まずは、初年度を成功裏におさめて、前選手会長は頭を下げた。「大会にご尽力いただたスポンサー、関係者のみなさん」。そして、何よりミャンマーの人たちへ。「僕ら選手のために、戦えるコースを作ってくださって本当にありがとうございました」。
会場のロイヤルミンガラドンカントリー&ゴルフクラブは、昨年8月の大雨で、コースの大半が水没した。壊滅的な被害を受ける中で、ホールによっては芝の根付きが悪くて、思うようなコースセッティングが実現しなかった部分もあるが、それでもコースのみなさんのご尽力によって、無事開催にこぎつけることが出来た。
最終日には、池田が思っていた以上に、大勢のギャラリーが駆けつけ、選手の出身国を問わずに声援を送ってくれた。
ゴルフの楽しさが、ここミャンマーの人々に少しでも伝わっただろうか。
「僕らはゴルフでしか表現することは出来ないけれど、ゴルフを介して日本とミャンマーとの友好関係をより強いものにしていくお手伝いが出来れば」。
そのためにまだまだやりたいこと、やるべきことは山積みだ。