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ゴルフ日本シリーズJTカップ 2017

宮里優作が逆転の賞金王

4年前にプロ11年目の初優勝を飾って泣き崩れた舞台で、今度は新王者の笑みをたたえたのも一瞬だった。タップインのパーで沈めたウィニングボールをそっとポケットにしまうと、涙がどっと溢れた。
「やっと1年が終わった」。
このシーズン最終戦で、勝てば大逆転の賞金王。重圧を、背負い続けた4日間。
「疲れましたね」。
一気に緊張の糸を解いた。駆けだしてきた二児を、がっしりと受け止めた。
浮かべた笑顔に涙は滝のように流れ続けた。
「こんなにたくさんの方に応援していただいて、本当に嬉しかった」と涙の万歳三唱で、すり鉢状のグリーン回りを埋め尽くした大ギャラリーとの一体感で、ありったけの謝意を伝えた。

いよいよ運命の最終日は初の戴冠に、ふさわしいゴルフを優作はした。
1番、2番はまだ「迷いがあった」とチャンスを入れ損ねても、3番で手前2.5メートルのチャンスは「開き直って攻めていけた」。
そこから猛然と、栄光へのカウントダウンを刻んだ。

冴え渡るアイアンは、もはやチャンスにしかつかない。
「ラインが読めているか。ストロークはいいか、タッチが出てるか」。この3点に絞って磨きに磨いてきたパットは、外れる気配もなかった。
3番から3連続バーディ直後の6番パー5では、4Iを握った221ヤードの2打目が右ラフで軽く弾むとまた、あれよとピンに寄った。
イーグルで6差がついた。
「もっと拮抗するかと思っていたけど、前半で予想以上のゴルフが出来て、途中攻めあぐねた」と一瞬の「間延び」も同組のノリスの好プレーに奮起して「あと2つ、3つ」と、ますます高まる集中力は、いよいよ頂点まで達した。

シーズン最終戦の優勝で、逆転の王座につくのは85年以降の記録でいうなら、2000年の片山晋呉以来、史上2人目の快挙達成である。
「ジャンボさんや青木さんも獲って・・・。ここで藤田さんや孔明さんが賞金王になるのを見てきた。ショットの技術とか、メンタルコントロールとか、細かい精度とか。まだまだ自分は薄い感じがした」と、そう痛感するほどに「賞金王はそうそう簡単に獲れるもんじゃない。一生にあるかないか」。

どんなに憧れても手に届かずに思えていた称号を、6打差の圧勝でついにドラマチックに引き寄せた。
「あのときより自分が成長していることを確かめたくて」と、この日はベストスコアの62で証明した。
通算15アンダーは、13年の初V時(通算13アンダー)の自分も越えた。
「前回より2打少なくて、4年経って少しは成長できたかな」とそれもまた、重ねて感慨深い。

前回は、左奥からの2打目をまた逆側のラフに落とした3打目を、劇的なチップインパーでしのいだ最後の18番も、今度は手前6メートルに危なげなくワンオンさせた。
2パットのパーにも「僕のことなんで、18番でまたなんかやらかすんじゃないか、と。前回のようなハラハラもなく、スミマセン。普通に勝ちたかったんで」と最後に笑わせる余裕にも、この4年の月日を思わせた。

狙って勝つことの苦しさを、嫌というほど知りながら今季、ある信念に突き動かされた。
選手会長の重責を背負った昨年。3週に一度の政策委員会やスポンサー回り。ジュニア指導や社会貢献活動など、覚悟はしていたとはいえ妻の紗千恵さんにも「こんなに休みがないものなの」と驚かれた。
でも当人は「大変だねと、言われることが嫌だった」。
選手会長の年は、活躍できないという、まことしやかなジンクス。
前任の池田勇太も初タイトルは、4年の任期直後の昨年だった。
「ハズレくじを引いたみたいなのが納得いかなかった」。
数々の校風を覆した中学時代の元・生徒副会長の血がうずいた。
「選手会長を、夢のある職業にしたい。イメージを変えたい」。

在任中の選手の中では最多の年間4勝と、制度化された84年以降、初の選手会長賞金王で“一大改革”を完結させた。
「選手会長って良いもんだよ、と。良いメンタルトレーニングにもなるよ、と知って欲しかった。やってなかったら、自分も賞金王にも絡めなかったと思うし、いろんなものを見ながら成長できた」。
選手会長だったから、こんなに強くなれたと胸を張って言える。

改めて、その正義感と鉄の意志には片山や、孔明や歴代の賞金王をはじめ他の選手たちをも「いろんなことをやりながら、勝たなくてはいけないところで勝つのは凄い」とみなを脱帽させた。

大会恒例の全員参加の表彰式でも小学時代から、積極的に弁論大会に挑戦して磨きに磨きをかけたスピーチは、「昨日のうちから用意していたのに、真っ白になっちゃって。何を言ってるのかわからなかったですけど」。
本人には不本意でも「小平選手が年末に結婚式を控えていますんで、多めに包みたいと思います」。
即興で沸かせるなど大会の勝者と、賞金王のそれと、何より選手会長としての顔を巧みに使い分けて、そつなくこなした。

表彰式後に揃いの白いベンチコートを着て選手みんなでずらりと並んで、今年もギャラリーのみなさんのカメラに収まった。
昨年、石川遼の提案を吸い上げ、選手会の賛成をとりまとめて始めたファンサービスで、ひとり真っ赤な選手会長のチャンピオンブレザーが、ことのほか映えた。

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