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ダンロップフェニックストーナメント 2018

松山英樹が進藤キャディとの専属契約を解消

今季国内2戦目もまた、不発に終わった。松山は先週の46位に続いて、44位タイにとどまった。
ホストプロとして臨んだ今週。
「優勝、という形で応えたかったが、今日は2バーディしか奪えなかった。たくさんの人が来てくれたのに、申し訳なかった」。
最終日もパットが入らない。ほとんど見せ場もないまま、後半は12、13番のダボ、ボギーのまま終戦して「最後この試合も残念な結果になった」と、かたわらの相棒にも頭を下げた。

日本が誇る最強コンビがここ宮崎で、ひとつ区切りをつけることになった。
松山が、6年連れ添った進藤大典キャディと、今大会をもって専属契約を解消することになった。
今後、スポットで担いでもらうことはあるが、エースキャディとして仕事を頼むのはこの日が最後。「ダイスケさんにはこれまで支えていただき感謝しかない」。最終ホールの握手に思いがこもった。

初タッグは2012年のアジアアマだ。
松山が、プロ入りの準備を始める際に、恩師の阿部靖彦・東北福祉大ゴルフ部監督に「誰かいい人が」と相談を持ちかけたのがきっかけ。
大学の先輩後輩はひと回りも年齢差があったが「ダイスケの律儀で素直な性格がヒデキにはうってつけと思った」(阿部監督)。
2013年のプロ転向から本格的な二人三脚を始めて同年の日本ツアーで4勝をあげ、史上初のルーキー賞金王に。
14年から参戦した米ツアーでは5勝。たまの帰国で勝ち星を重ねて日本で計7勝。2人で力を合わせてきた。

しかし今季は日米ともに優勝がなかった。
進藤さんは「お互いに、嫌いになったわけでもない。今でも尊敬しあえる仲だが、タイミングというか、自分自身もだんだんヒデキの力になりきれていないと感じるものがあってそこで葛藤というか、自分でないほうがいいんじゃないかと、どんどん感じることが多くなって。そういうことも、理由のひとつ」ととつとつと、経緯を語った。
松山は「本来は、終わるつもりはなかった」。
しかし「ずっと、つきっきりでいたので。互いに思うところも色々あった。もちろん、意見が食い違う時もあり、ぎくしゃくすることもありましたがいつも傍らで、辛抱強く僕を受け止めてくれていた。僕の目指す道。ダイスケさんの将来の夢。2人で目指す道。何度も話し合い、いったん離れてみて、という結論に至った」という。

共に歩んできた濃密なこの6年間。
「アメリカの初優勝も嬉しかったし、フェニックスの連覇も嬉しかった。良い思い出が多すぎて、挙げれば切りがない」と、思いを巡らせた進藤さん。
「僕は、ヒデキに成長させてもらうことしかなかった。僕じゃなかったら、もっと勝てたんじゃないか・・・」と、最後の最後にこそ結果を残せなかったことに、進藤さんは責任を感じているようだった。
「ヒデキは義理人情に厚い男でこんな僕を、6年間も使ってくれた。僕が逆なら2年くらいでクビにしてるんじゃないか・・・。そこがヒデキの温かいところ。世界中を旅させてもらって感謝しかない」。

世界各国で夢を追いかけ紡いできた2人のドラマもいったん、小休止だ。

松山は今後、進藤さんも含めて数人に担いでもらいながら、新たなパートナー探しを始めるという。
進藤さんも「家族との時間を作ったり、日本で何かしたいことをゆっくり考える」という。
別々の道を歩むと決めた2人。
進藤さんは「でも心配していない」と言った。
「今年はこんなに上手くいかなくなるものかと思ったりもしたが、でもほんとに紙一重のところ。すぐ逆のほうに動くと思うので。この6年、ずっとヒデキの姿勢、努力は変わっていない。走っていれば、必ず前に進むと思う」と、力をこめた。
最終ホールで握手を交わしたその右手で進藤さんは、松山の背中をポンと押した。
背中越しに浮かべた進藤さんの笑顔は一点の曇りもなくさわやかだった。
  • 進藤さんの専属キャディとしてのラストゲームを出迎えねぎらったヒロシ。みんなナイスガイ

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