テレビの向こうにいる人に、伝えたい思いがあった。
「勝って元気づけたかった」。
涙をこらえて思いを語った。
母親の美也子さんが乳がんであることを告げられたのは、昨夏。
金谷の衝撃はもちろんだが、一番つらいのはご本人である。
「でも心配かけまいと、僕の前では元気な姿を見せようとしてくれた」と、気丈に振る舞う姿。
ちょうど海外ツアーで苦戦が続いていた時だ。
「自暴自棄になりかけた」という金谷を押しとどめたのはお母さんの優しさと強さ。
「僕もふて腐れている場合ではない」。
持ち前の粘り強さと負けん気に、拍車がかかった。
勝利の1打となった17番の池越えの第2打は、右の深いラフから6アイアンを振り抜いて、ピンそば50センチについた。
同組の中島啓太(なかじま・けいた)が「魂のこもったボール」と、評した渾身ショット。
「中島選手も14番でチップイン、15番で長いパットを決めて魂のこもったプレーをしていた。粘り強く戦うスピリットを持っていて、相乗効果で17番のショットが打てました」(金谷)。
アマ期から、しのぎを削った好敵手と演じた大接戦。
「中島選手も、ヨンハン選手も非常に実力のある選手ですので」。
第1打が左の林の向こうまで飛んで、ボギーを叩いた15番で同組の2人に並ばれたが最後は2打差で突き放した。
本当は、先週こそ勝ちたかったという。
「ミズノオープン」は、出身の広島県に近い岡山県での開催だ。
最終日にお母さんが見に来てくれていたそうだが、平田憲聖(ひらた・けんせい)と、中島とのプレーオフに残るには、1打足りなかった。
「目の前で、優勝を届けられなかった」。
諦めずにすぐ翌週に、完全優勝で飾った5年シードのタイトルは、お母さんに捧げる雪辱戦だ。
雨で2日目から2日連続の順延で、土日とも早朝から長い戦いになったが、一度も首位を譲らず勝ち抜いた。
昨年のこの大会は、海外から一時帰国して臨んだその年の国内初戦。
「海外を転戦しても、賞金をもらえないと不安になるし、プロになって、曲がることが怖くなる部分があった」と、ストレスと不安でいっぱいだった。
でも「今年は積極的なプレーをテーマに、狭いところでもドライバーを握ってしっかり振り抜けたし、1年かけて成長したところ」と、宍戸の攻略こそその証明だ。
「病気で苦しくても見せない母の姿を見て頑張れました」と、感謝を伝えた。
「テレビで見て、少しでも励みになってくれればいいな、と思います」。
優勝副賞の「BMW X7」は闘病中のお母さんにとっても最高の乗り心地に違いない。