単独トップから出たこの日は、チャンスホールの2番で、目玉のバンカーから脱出に失敗。
2打を要して、フェアウェイに出した第4打もまた左のガードバンカーへ。
寄せきれずに残したボギーパットは4メートルほどあったが、「悪い中でもパットに助けられた」と、けがを最小限にとどめたのは大きい。
ドライバーの不振に悩みながらも、首位に浮上した前日2日目。
決勝ラウンドこそ払拭して出たいとプレー後の練習場で、水曜日にいったん自宅に戻っていたお父さんにラインでスイング動画を送ると、「球離れが速すぎる。トップの切り返しをもっとじわじわと」とのアドバイスが来た。
意識しながら練習を重ね、「3日間でティショットは一番よかった」と、言えるまでには回復できた。
初出場の昨年大会は、左利きのドローボールで臨んで45位タイに終わったが、今年はフェードで攻めてV争い。
ドローヒッター有利と言われる三好のセオリーを、器用に左打ちで踏襲する。
生後2か月で心臓の手術をし、「負担のかからないスポーツを」と、利き手の左で6歳からクラブを握り、中学3年時に地元の「山口県アマ」制覇。
21年にプロ入りし、二十歳の昨季、賞金23位で初シード入りを果たした。
今季は自身3度目、通算5度目の最終日最終組でにらむのは、日本人としては、91年「ダイドードリンコ静岡オープン」の羽川豊氏に続くレフティV。
3日目の最終組は「楽しかった」と、乗り切った。「明日も1日楽しく優勝できればいいな」と、笑顔で抱負を述べた。