Tournament article
日本プロゴルフ選手権大会 2003
『トーナメントリーダーが一人でプレー・・・。こんなの前代未聞じゃない?!(笑)』日本プロゴルフ選手権2日目に、2位と4打差の単独首位に立った鈴木亨
同じ組で回っていた湯原信光が、スタート当初から訴えていた腰痛に耐え切れず、途中棄権。前日のホールアウト後には、同じ組の尾崎健夫が左肘痛ですでに棄権していたから、鈴木は後半4番からの残りホールをたった一人でプレーすることになってしまったのだ。
鈴木が一人でのラウンドになってしまうことを心配して、湯原はずっと痛みをこらえてプレーを続けてくれていたのだが、もう限界だった。鈴木も、「一人は嫌です」と引き止めていた。が、それ以上、無理を言うことはできない。
「仕方がない」と頭では状況を受け入れたつもりだったが、一人になった途端に鈴木は、案の定、プレーのリズムを崩してしまった。
「なんだか急に張り合いを無くしてしまったみたいになって。一人だと待ち時間が長すぎて自然と考える時間が長くなってしまうし、バランスを崩れてしまったんです」
前の組のホールアウトを待つ間、その辺を歩きまわったり、時間つぶしをして気をまぎらわすよう務めたが、うまくいかない。
湯原が脱落した直後の4番で、1メートル半のパーパットを外してボギー。尾をひいて、5番パー4では4メートルのバーディチャンスを3パットしてまたボギーだ。
湯原が帰ってしまうまではとても良いゴルフをしていただけに、「こんなことぐらいで、これまでのスコアを無駄にしてしまうのか・・・」と歯がゆさに、思わず鈴木は唇を噛んだ。
ロープの外には、プレーヤーがたった一人になってしまったにもかかわらず、残って応援してくれるギャラリーのみなさんがいた。「この人たちのためにも、なんとか気持ちを切り替えなければいけない・・・」モチベーションを再び上げて、戦い抜く方法を懸命に模索した鈴木は、連続ボギーのあとの6番パー5で、ある方法を思いついた。
残り220ヤードの左足前足上がりのラフからフライヤーを利用して、6アイアンで3メートルに2オンした直後、ギャラリーに向かって大声で言ったのだ。
「よ〜し!! みなさん、あのパットは絶対に入れるから、入れたらみんなで盛り上がってね!」。なんと、イーグル奪取を観客にむかって宣言したのだ。さらにそのあと、公言どおりにど真ん中から沈めてみせると場は盛り上がり、気持ちも一気にヒートアップだ。
その後も、ギャラリーとともにノリにノって7番で2メートル、9番でも1メートルにつけ、それをズバズバと沈めてバーディフィニッシュ。予選2日ですでに2位と4打差つける通算11アンダーでのホールアウトには、「一人で、良く頑張ったね!」労いも混じるギャラリーからの大歓声に、鈴木は丁寧に帽子を脱いで、「ありがとうございます!」何度も何度も頭を下げた。
「精神的な弱さ」(鈴木)が、これまでの懸念事項だった。この日も、“一人のプレー”に気持ちを乱され、リズムを崩しかけたがそんな自分に懸命にブレーキをかか、ギャラリーを味方につける方法できっかけを作って再び上昇。
「今日は自分が試された日」と鈴木は位置付けた。
「とっても疲れたけれど、そのかわりに“こうすれば、テンションを上げて戦える”“こうすれば自分に打ち克つことができる”そういうことを、勉強をさせてもらった1日でした」
試練にも打ち克った予選2日間で得たものは計り知れない。95年大会は、2日目に7打差つけながら、3位に甘んじたりと、「ほんとうに、この“大会”にはいろんな経験をさせられますよ」と苦笑いで振り返った鈴木。「トーナメントリーダーが一人でプレーっていうのも、前代未聞のことじゃない?!(笑)」。
数々の苦い経験も、初の日本タイトルを手に入れるための序章なのかもしれない。