Tournament article
日本オープンゴルフ選手権競技 2005
久保谷健一が3アンダー2位タイ
「日本オープンのコースは、そう簡単に打たせてもらえるホールはないから。フェアウェーに打てる自信が僕にはない。縮こまりながらティショットしていたけど、今日はたまたま枠の中に収めることができただけ」。
自ら、「僕は“一流”じゃないから」と、言い切る。
もともと、謙虚な性格だったが、それだけではない。
2年前の2003年、本格参戦した米ツアー。
精一杯に戦ったがシード権が獲れず、年末の予選会で挑戦しなおしたが、1打足りずに涙をのんだ。
結局、1年で舞い戻ったがその後遺症がまだ残っている。
「アメリカで、ゴルフが壊れた」と久保谷は言う。
そのはっきりとした原因は、分からない。
飛距離の差、レベルの差を埋めようと、スイングに力が入ったのもあるだろう。
また、違う環境に順応するために、久保谷の場合はそれまでのゴルフを、いちどゼロに戻さなければならなかった。
ようやく慣れ始めたころにはもう、シーズンも終盤に差し掛かっていて、撤退を余儀なくされた。
再び日本ツアーで戦うころには、もとのゴルフはすっかり消え失せて、また一からの出直しだった。
復帰元年の2004年は「あがきにあがいた」。
考え方も、「後ろばかりを見るようになった」。
たとえ初日に良いゴルフができても、「ちょっとでもリズムが狂うとすぐに予選カットラインばかりが気になってしまう」という。
以前、日本にいたときと同じことをやっているつもりなのに、「頑張っても、なぜかいつもと違うことが起きる」と、空回りが続いて昨年は賞金ランキングによるシード落ちを喫した。
いまなお、試行錯誤の日々が続いているが、せめてもの気持ちの支えは2002年日本プロの優勝で5年の複数年シードを持っていることだ。
「あと2年あることで、まだ自分を追い込まなくて済んでいるのかな。まだ時間はあるし、時が解決してくれるしかない、と思って待つことにした」という久保谷。
この日の好スタートが、立ち直るきっかけになればいい。