Tournament article

アサヒ緑健よみうり・麻生飯塚メモリアルオープン 2006

地元・福岡出身の手嶋多一てんやわんやの決勝ラウンド

前日3日目のことだ。開催コースに程近い地元・田川市出身の手嶋に、アクシデントが起きた。
もう10年来の付き合いとなる専属キャディの古田土和則さんが選手の後ろから、ほうほうの体でホールアウトしてきた。

手嶋も、心配そうに振り返る。
「大丈夫か?」
「・・・すみません、今日はもうダメです」。
どうにか18ホールは回りきったが、熱をはかると38度9分もあった。
流行の風邪を引いてしまったようだ。

すぐに医者に行き、点滴を打ってもらったが、体はまだふらついている。
本人は、「明日になれば大丈夫」と言い張ったが周囲が止めた。
それほどの高熱で、無理をさせるわけにはいかない。

しかし、まだ予選が終わったばかり。
大会を2日も残して「変わりに、ハウスキャディさんに頼もうか・・・」。
そう思案していたとき、ちょうど通りかかったのがプロキャディの松村卓(たかし)さんだった。

途方にくれた手嶋の様子に思わず、声をかけていた。
事情を聞いた松村さんは、「僕で良かったら勉強させてください」と申し出た。

もともとは桑原克典の専属キャディだがこの日、残念ながら予選落ちが決まっていた。
もちろん、桑原には事前の承諾を得て、決勝ラウンドからきゅうきょタッグを組むことになった。

幸い、超・感覚派の手嶋はさほど難しい選手ではない。
グリーンのラインはほとんど自分で読むし、距離や番手選びもそれほど厳密ではない。
もちろん、ミスをキャディのせいにしたりすることもない。

急な登板にも「とても楽な気持ちでやらせていただくことができました」という松村さんの父・貞人さんも実は、手嶋と同じ田川市の出身なのだそうだ。
「僕自身は大阪の生まれなのですが、多少は田川の血が流れているのではないか、と・・・(笑)」。

最終日も、この即席・地元コンビでさらなる上昇を狙う。


関連記事