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アサヒ緑健よみうり・麻生飯塚メモリアルオープン 2006
<NEWS>ジーブ・ミルカ・シンが欧州メジャーで優勝!!
4月の欧州&アジアンツアー共催の『ボルボチャイナオープン』に続く今季2勝目は、昨年覇者と、賞金ランク60位までの選手にしか出場権がないばかりか、優勝賞金66万6660ユーロは日本円にして約1億円。
まさに、今年の総決算とも言うべきビッグイベントだった。
欧州ツアーでは“メジャー”と位置づけられ、誰もが目の色変えて欲しがるタイトルのひとつなのだ。
「表彰式を済ませたその足で、すぐに日本に戻ってきたから僕には分からないんだけど・・・。なんだか、母国では大変な報道ぶりらしいんだ」と、誇らしげに胸をそらしたのも当然だ。
欧州本土でチャンピオンに輝いたのは、青木功とKJチョイに続く3人目という快挙を達成し、一夜にしてミルカ・シンはインドの英雄に登りつめてしまったのだから・・・。
今週、真っ先に祝福にやってきたのは立山光広だった。
互いにスイングを教えあったり、今年は立山が、GMAの岡﨑公聡社長をシンに引き合わせ、クラブ契約を結んだ経緯もある。
シンともっとも親交の深い日本人選手は、目をシロクロさせながら言う。
「信じられる? 賞金1億円だよ、1億円。今週の賞金総額を1試合で稼いじゃったんだから・・・。ほんと、スゴイ奴だよ」。
佐藤信人も、感嘆の声を上げる。
「あの大会は、日本ツアーでいう最終戦の日本シリーズみたいなもの。欧州ではあの大会に出られることだけでステイタス。まして、出場選手の顔ぶれも錚々たる中で勝っちゃったというのだから・・・本当に凄いことですよ!!」
2004年に欧州ツアーに参戦。佐藤自身も当時、今大会への出場を目指して戦っていただけになおさら尊敬のまなざしだ。
「・・・いっそその賞金で日本ツアーのスポンサーになって『ジーブ・ミルカ・シンオープン』とか作ってくれないかな」と、真顔でつぶやいていた。
大会2日目には雨。連日、強風に見舞われた。
4日間ともタフなコンディションにも耐え抜いた。
不思議と、プレッシャーはなかった。
今季、日本ツアーでトップ10入り9回、予選落ちなし。
依然として好調のゴルフは、最終日も崩れる気配がなかった。
2打差で迎えた17番。4メートルのイーグルパットは惜しくも外れたが、楽々バーディに勝利を確信したという。
この優勝で、欧州ツアーの5年間シードを手に入れた。
現在、アジアンツアーで賞金ランク1位。このままシーズンを終了できれば、インド人として初めてマスターズに招待される可能性が高い。
世界ランクも77位と急浮上して、トップ50も間近だ。
来季は当然、欧州ツアーを拠点に戦うことになるが、シンは言う。
「・・・でも、友達もたくさん出来たし僕は日本が大好きだからね。来年も、13試合くらいは出るつも
りにはしているんだよ」。
来週は中国に飛ぶ。さらに香港と、アジアンツアー2戦に出場し、再び日本ツアーに舞い戻る。
次回は、カシオワールドオープンだ。
「もう34歳にもなるのに、ほんとうにタフな男ですよ」と、佐藤も舌を巻くハードスケジュールも軽々とこなすミルカ・シン。
「・・・なんとか日本ツアーでも初優勝を挙げたいからね。今週も、全力でぶつかるよ」と、笑った。
ジーブ・ミルカ・シン
1971年12月15日生まれの34歳、インド出身。
アジア大会(1958年、東京)400メートル走の金メダリストでもあった父、ミルカ・シンさん(当時ハンデ9)が、趣味でゴルフを始めたのが、ジーブが10歳のとき。このとき、キャディとしてついて行ったことがきっかけで、自身もゴルフをたしなむようになった。
インドにはサッカーやクリケット、ホッケーなど、他にも国民的スポーツが数多くあったが、「ひたすら、コースとの戦いである点に興味を持った」と特にゴルフに熱を入れた。
スカラシップで留学した米テキサス州のアブリン・クリスチャン・カレッジのゴルフ部で、NCAA優勝も経験。
卒業後、1993年にプロ転向し、アジア、日本、欧州の各ツアーを転戦して腕を磨いた。
1996年には日本ツアーのキリンオープンに出場。13位タイの賞金150万円に魅力を感じ、日本ツアーを意識するようになったという。
アジアンツアーで5勝、欧州ツアーで2勝。