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ブリヂストンオープンゴルフトーナメント 2007

片山晋呉から16歳へのメッセージ

何度ガッツポーズをしてもし足りない!
毎週、過酷な戦いを続けながらも片山は、16歳のこともちゃんと見ていた。この週、自身初の2週連続出場。しかし、2日目にワーストの86を打って、最下位で2週連続の予選落ちをした石川遼くんについて「なんだか、今がすべてというように見えてしまう」と、片山は言った。
自身もトップアマとして君臨した時代をなぞりながら「プロとアマでは、比べられない部分があるんです」とも。

石川くんもそうであるように、アマチュアがプロのトーナメントに挑むとき、その大会にむけて入念な準備をし、調整を重ね、出来うる限り最高の状態で本番を迎えたいと思う。また「プロの試合で頑張ろう、とか優勝したい、とか良いスコアを出そうとか・・・照準も合わせやすい」。

しかし、「プロはそういうわけにはいかない」。
毎週のように、違うコースで試合をこなしていかなければならない。「当然、体調が悪い週とか調子が悪い週もある。常に絶好調で臨めるわけではないんです。その中で、いかにレベルを上げながら波を一定に保っていくか」。

それは、常に安定して結果を残していくためのコツともいえる。
そして、それこそが根本的なプロとアマの違い。

確かに、史上最年少優勝をあげたことは素晴らしいことだ。「だけどこの先このままプロの試合でやっていても、トップ10に入ることはあっても、たぶん勝つことはないと思う。次は、プロも必死でくるからね」。
だからこそ石川くんには、「どんな小さな大会でもいいからどんどんアマチュアの試合に出て、同年代の子たちと戦って、勝ちグセをつけてほしい」と片山は言った。

勝つ喜びだけはアマの試合でも、プロのトーナメントでも同じと思うからだ。

「勝つことが何よりの自信になるから。僕がそうだったから。石川くんにも、今のうちにとにかくいっぱい勝っておいて欲しいんです」。

片山のプロ転向は、日大進学後の22歳だった。
その直後にヘルニアの大手術や父親の死など、度重なる苦難を乗り越えていま頂点に立つ。
そして目標にたどり着いた今もなお、追いかけてくる若手らの突き上げに進化を強いられる。

先は長い。
まして、石川くんはまだ16歳だ。
「25歳でマスターズに出ても遅くない。遼くんには今だけにこだわらず、10年後の自分をどうしていこうかと考えながらやって欲しいんです」とのメッセージは、その実力と潜在能力の高さを認めているからこそ出てきたものではないだろうか。

また、その思いは石川くんに対してだけではない。
いま、片山がもっとも歯がゆいのは「なぜ若い子たちは僕に聞きに来ないんだろう」ということだ。
海外メジャーを経験し、世界の壁に打ちのめされて「でもその差を埋めていくにはどうすればいいか。自分なりに工夫して、編み出してきた練習のコツがある」。
そこにこそ、3年連続賞金王の秘訣がある。

「僕みたいに、体も小さく典型的な日本人体型の選手が、どうしてトップを張れているのか。なんで、みんなそれを知ろうとしないんだろう? 今は高校生ですら僕よりもずっと体が大きくて、30年後には毎回メジャーで優勝争いするような選手がぞろぞろ出てくると思う。そんな選手たちが、僕と同じような練習を続けていったら、とてつもなく強い選手になれるのに・・・」。

そう思うと残念でならない。

その練習法、トレーニング法、調整法にはすべてそれぞれに大きな意味がある。
たとえば、ラウンドの合間によくやるパターでの逆スイング。
これは持病の背筋痛をやわらげるほか、常に一定方向の動きを強いられる身体を、バランス良く整える目的がある。
些細に見える動作のひとつひとつには、ヒントが山ほど詰まっている。

「ただ漫然と球を打つだけじゃダメ。プレッシャーがかかったときの打ち方。最終日に崩れないゴルフがどういうものなのかを考えていかないと」と片山は言った。
「そのためにももっと貪欲にならないと」と、若手選手に警鐘をならした。
「・・・聞きに来てくれたら、何でも教えてあげるのに」。
いま、ツアーの頂点に君臨するものとしての責任と自覚がそう言わせている。

  • 荒川詔四・大会会長より受けた優勝カップ
  • 大会に協力してくださったボランティアのみなさんと・・・。「大会の成功はみなさんの協力なくしてはありえません」と片山

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