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日本オープンゴルフ選手権 2008

石川遼がイーブンパー

プレーを終えた9番グリーンで「世界のAOKI」に言われた。17歳の手を握りしめ「もう大丈夫だよ」。あまりにも抽象的で、いったい何が「大丈夫」なのか・・・。詳しく聞かなかったから分らない。

「でもきっと“今のゴルフでいけば大丈夫だよ”ということ。良いように捉えたい」。

青木とは、今回が初ラウンドだった。
日本一決定戦ということも相まって、直前まで緊張していたがラウンド中も何かと気を遣い、声をかけてもらってゴルフともども充実した2日間。

「青木さんの前で、自分の良いところを100%出せたことを幸せに思う」。
しみじみと噛みしめた。

66歳は残念ながら2日でコースを去ったが、次週は連覇がかかった日本シニアオープンが控える。
石川が「来週、頑張ってください」と伝えると、嬉しそうに頷きながら「おう、来週は俺のもん。そして今週はオマエのもんだ」。

青木が、暗に込めたエールも一気に現実味を帯びてきた。
午前組としてはトップの通算イーブンパーで終了した石川は、そのあとジワジワと順位を上げて、単独3位。首位と2打差は、このコースではあってないようなものだ。

財団法人日本ゴルフ協会が主催する今大会は、社団法人日本ゴルフツアー機構が主管するトーナメントとカテゴリーが異なる。
出場権がなかった石川は、地区競技の関西オープンから挑戦。みごとプロ初優勝で権利を得たこの大舞台は、昨年に続き2度目の挑戦。
アマチュア枠で出場した昨年は「自分からトラブルを招き、トラブルがまたトラブルを呼んで」予選落ちした。

その経験からプロとして迎えた今年も「通っても、予選ギリギリ」と自ら踏んでいた。
それがいきなりの優勝争いに、「実力の出る難しいセッティングでまだ悪いところが出ていないのかな」と、ちょっぴり謙遜。

そして驚嘆。
「この2日間は思うように打てるショットが多くて、明らかに去年の自分には出来ない。あり得なかったプレーです!」。

この日は終盤に難ホールが密集するインスタートで耐えに耐えた。
12番パー4の第2打は、松の木に阻まれグリーンを狙えない。まして脱出するのに適当な場所も見あたらず、あえてグリーンに背を向けわざとバンカーに入れる策でボギーに抑えた。

14番パー4は、ティショットがバンカーへりへ。深いラフにすっぽりともぐり込んだボールは左足を大きく上げて、踏ん張って打つ不自然な姿勢からピンに当て、3メートルにつけてボギーに抑えた。

17番でダブルボギーを打ったものの「インコースは3オーバーと耐えて気持ち良く後半に行けた」と振り返る。

そしてターンした得意のアウトコースで攻めて2バーディ。
開催前は、あまりに難しいという評判に、実はドライバーの封印も考えていた。
しかし実際にコースを前にするなり吹き飛んだ。

「僕が目指しているのはこのトーナメントではないから」。
プロ転向前から口にしてきた究極の目標は、マスターズでの優勝だ。
そのためにもまずは「自分のゴルフを向上させること」。
世界のメジャーを視野に、どんな狭いフェアウェイも失敗を恐れず、誰よりも正確に、そして遠くに飛ばして高いロブショットでグリーンを狙う。
理想のゴルフを追い求め「全ホール、ドライバーで打つ」と宣言し、この日刻んだのは15番と5番だけ。2番アイアンを握った15番は、「・・・アイアンで打つほうが緊張しました」と、照れた。

攻守に冴えを見せたこの日、パーオン率1位(61.11%)に確信は深まった
「僕の場合パーオンしていくことが、パーを取る一番の近道。グリーンに乗せておいた方が、パーを取る可能性が高いんです」。

雑音も意に介さず、自分の意志を頑固に貫き“日本”と名のつく大会で、自身初の予選通過を果たしたら、次は前人未踏の記録に期待がかかる。
史上最年少のメジャー優勝は、1928年のこの第2回大会だ。
浅見緑蔵氏の19歳と9ヶ月7日。
17歳と1ヶ月2日の高校生プロが実に80年前の記録を塗り替えるか。
週末は「自信を持って臨める」と頼もしい。

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