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関西オープンゴルフ選手権 2009
18年ぶりにツアーに復活した関西オープンは…
今回、出場権を得た24人のアマチュア選手のみなさんにとっても意義深い4日間だった。
そんな機会もなかなか得られない中で、ツアーで活躍するトッププロに混じってプレーできることは、なにものにも替えがたい貴重な経験となった。
「その中で実力の差を痛感したり、自分に足りないものを見付けたり…。そういうことが、特に若い選手にとってはものすごい励みになったようです」とは、大会主催の関西ゴルフ連盟(KGU)の三谷賀一・事務局長だ。
また今回は、たとえばここ宝塚ゴルフ倶楽部所属の中土靖さんが、予選2日間で石川遼と同組になるなどアマチュアのみなさんが、シード選手が集まるいわゆるメインと言われる組み合わせの中で回る機会を作ったことで、三谷さんのもとにも喜びと感謝の声が、たくさん届けられた。
「みなさんから本当に良い経験をさせてもらったと言っていただいて。それだけでも、苦労して大会をツアーに復活させた甲斐がありました」と、三谷さんの声も喜びに満ちた。
1926年に産声をあげた歴史と伝統の今大会は、年々高騰する賞金総額に対応しきれず、1992年にやむなく地区競技に降格した。当時は大会自体の中止も検討されたが、KGU加盟の236倶楽部の支援もあって地道に回を重ねられてきた。
賞金総額の減額や、競技日数を減らすなどその規模こそ縮小されたが、地元関西の人々にとって思い入れの熱い大会であることに、かわりはなかった。
ツアー競技への復活を望む声も、やはり地元から沸き起こった。
「地域のゴルフを活性化させるために、関西オープンをもっと活気あるものにできないか」との声が上がり、「オープン検討委員会」を立ち上げたのが、一昨年秋。着々とその基盤が築かれつつあったとき、さらなる追い風は吹いた。
近々のツアー復帰を視野に、再び4日間競技に戻して行われた昨年の74回大会で、石川遼がプロ転向後の初優勝をあげたことで、一気に注目が集まったのだ。
晴れて復帰元年を迎えた今年はツアーのトッププロが顔をそろえ、まさにハイレベルの戦いが繰り広げられた。その中で4人のアマチュアが決勝に進み、熾烈なローウェストアマ争いを繰り広げた。
サードアマに輝いた地元・関西学院大3年の齊藤祐くんは、大会独自の予選会を突破して、2年連続の出場はこれがツアー初挑戦。
「最初は出られただけで満足していた」と齊藤くんだったが、昨年とは打って変わって緊迫感漂う会場の雰囲気に、「ラウンドを重ねるごとに、それだけじゃダメだと思うようになった」という。
「その思いが、予選通過につながった」。
週末は、大勢のギャラリーの視線も心地よかった。3日目の18番ホールで林の中に入れて「ほとんど絶望的な状況」からピンそば15センチにつけてバーディを奪い、拍手喝采を浴びた。夢が、ますます膨らんだ瞬間。「将来はプロになって、またこういう舞台でやりたい」との思いを強くした。
賞金総額は5000万円、優勝賞金1000万円で行われた今大会は、2億円ものビッグトーナメントもある中で、プロとアマの架け橋という意味でもその存在価値はことのほか大きい。
チャンピオンの藤田は「お金じゃない。大会の大きい、小さいでもない。賞金が大きいだけがトーナメントでもない。僕にとっては大事なツアー1勝に変わりない」と言った。
石川は連覇こそ逃したが、2日目に最終ホールの劇的イーグルで予選を突破。連日、大勢のギャラリーを引き連れて今年も大いに大会を盛り上げ、31位に入ったディフェンディングチャンピオンは、昨年の優勝にも改めて触れて、「僕を大きくしてくれたという意味で、特別な思いがある。その大会が、今年からツアーのひとつになったのはとても嬉しい。来年、連覇を目指すことが出来なくなってしまったのは寂しいけれど、またいつか優勝してそれを味わってみたい」と話した。
大会はたくさんの人々の夢と希望を乗せて、成功裏に幕を閉じた。
「関西のアマチュアのみなさんたちにとっても、非常に魅力ある大会のひとつになったと思う。今年より来年、来年より再来年と、私たちも中身をより濃いものにしながら1926年から始まった歴史と伝統を、これからも長く引き継いでいきたい」と、三谷さんは心に誓っていた。