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ボランティア有志のみなさんが恒例の「チャリティフレンドリーゴルフ大会」を開催
主に、関西圏のゴルフトーナメントに参加してくださっているボランティアのみなさんが開いている、毎オフ恒例の“決起集会”。ボランティア同士の団結とプロとの懇親、そして社会貢献を目的に始まったゴルフコンペ「チャリティフレンドリーゴルフ大会」は、3月15日(月)に、兵庫県の有馬ロイヤルゴルフクラブで無事、第7回を迎えた。
いつもは無償の恩恵を受けている選手たちも、このときばかりと集結した。女子とシニアと男子と、それぞれのツアーからプロが参加して、計37人が各組に1人ずつ入って日頃の感謝の気持ちを表した。
中でも、ひときわハッスルしたのが72歳だ。コンペに初参加の杉原輝雄。これまでは、テレビ収録やガン治療と重なって、なかなか日程が合わなかったが、「僕もいつ死ぬかもわからんし」と冗談ともつかないけろりとした口調で「一度は顔を出しておきたかった」と、念願だった恩返しに奮闘した。
手取足取りのレッスンで“接待役”に徹するのはもちろん、得意のリップサービスもぬかりない。同組でチームを組んだ長谷川正さん、英子さん夫妻も独特の話術に引き込まれ、ラウンド中も笑いっぱなしだ。
「ときどき杉原さんならではの毒舌もあって。今日は本当に楽しかった」と腹を抱えて上がってきた英子さんは、以前トーナメントのプロアマ戦でも杉原とまわったことがあるという。
そのとき、ドンが見せたある行動に絶句した。
いつものように同伴のアマチュアのみなさんを笑わせながら、常に目配りを怠らず、コースに落ちたティペグの破片やゴミをさりげなく拾って歩いている。
「プロがそこまでされているのに、私がやらないでどうすると言う気持ちになった」と以来、自らも気がつけばゴミを拾って歩くようになったという。
「まさにマナーのお手本。杉原さんほどの影響力のある方が、こうしてコンペに参加してくださることで、私たちボランティアも“また頑張ろう”という気持ちになれる。やる気が出ますね」。
また、夫の正さんは杉原と同い年。4年前には、杉原と同じ病いを患った。スポーツ選手として現役にこだわる杉原は、体にメスを入れることを回避したが、正さんは思い切って手術に踏み切った。甲斐あって完治はしたが、今も再発の不安を感じることがある。
「でも杉原さんのように、いくつになっても冗談を言いながら明るく生きていれば、きっとあの人の病気も飛んでいくはず」(英子さん)。
ボランティア歴7年の長谷川夫妻にとって、杉原の存在は希望の光だ。
今回のコンペの発起人で、実行委員長の柴田英雄さん・淳子さん夫妻にとっては、トーナメントのボランティアこそ心の支えだ。
実は、今年はコンペの開催を見送るつもりだった。ご長男の一弘さんを亡くされたのは、昨年の11月末。享年42歳。1991年からボランティアを始めて北へ南へ。毎年、全国を奔走する夫妻の“遠征”にはいつも、インターネットを駆使して宿を手配してくれた。心根の優しい息子さんだった。
「なんであんな良い子が、親の私らよりも早く死ななければいけなかったのか」。
深い悲しみの中で、幾度問いかけても答えはない。夫妻の心に突然、ぽっかりと空いた大きな穴。埋めてくれたのがほかでもない、ボランティアの仕事だった。
息子の訃報は誰にも知らせなかったのに、どこからか聞きつけて電話をくれたプロが何人もいた。
「お母さん大丈夫? つらかったね」。
シーズン終盤に予定していたトーナメントもすべてキャンセルして位牌の前で、ただ泣くしか出来なかった淳子さんの胸に暖かく染みこんだ。ボランティア仲間からの励ましの便りも力となった。
「今年も仲間が喜ぶ顔を見て、開幕を迎えたいと思い直したんです」と、淳子さんは言う。
気力を振り絞り、新年早々からコンペの準備に取りかかった。直前にプロがキャンセルになったり人数調整など、何度も不測の事態に追われたが、夜を徹して乗り切った。
コンペ開催に奔走した日々が、愛息を失った悲しみを癒してくれた。仲間の笑顔が底なしの苦しみから救ってくれた。
大盛況のうちにコンペが幕を閉じたとき、淳子さんがしみじみと言った。
「ボランティアを続けてきて、本当に良かった。みんなに元気をもらえました」。
夫の英雄さんは「今年もまたボランティアを通じて、みなさんにこの恩返しがしたいです」。
もはや、ツアー名物のひとつといってもいい、柴田夫妻の満開の笑顔がもうすぐまた見られる。
※ボランティアのみなさんも待ちわびる・・・!!
ジャパンゴルフツアーの開幕は4月15日(木)。三重県の東建多度カントリークラブ・名古屋で行われる東建ホームメイトカップよりスタートです!!