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兼本貴司が追加の伝言
「夢を持とう」をテーマにした講演会は“ゴルフ伝道の旅”のハイライトだ。
それほどの戸惑いと混乱の中にあってもどうにか平静を保てたのは、「どういう風に言葉をつないだら、子供たちに分かってもらえるか」。終始一環してただその一点だけに、心を砕いたから。
誇張するでもなく、ただ淡々と事実だけを紡いでいった。そのぶれない語り口は子供たちだけでなく、先生方や、今回のお手伝いに駆け付けてくださった父兄や地元地域のみなさんの心をも揺さぶった。
確かに、今回の講演会のテーマは「夢を持とう」だ。しかし、「無理にいますぐ夢を持とうとしなくていい」と、兼本は言った。
実際に自分も、昨年5月の「三菱ダイヤモンドカップ」で悲願のツアー1勝を挙げてからというもの、まだ次の夢を見つけられないままでいる。
だからといって、その場を盛り上げるためだけに、夢を無理矢理にでっち上げたくはなかった。「僕も今からまた新しい夢を見つけるつもりです」と、正直に打ち明けた。
子供たちもそれと同じだ。「野球選手」とか、無邪気に語れる子もいれば、「今はまだ分からない」と言う子がいてもいい。
「過去を振り返ったときに、勉強もスポーツも、小学校時代が一番大事だったんじゃないか、もっと頑張れば良かったんじゃないか、という後悔もちょっとあるんです。みんなは今まさにその大切な時期にいるわけで、いろんなことを経験して一生懸命に取り組んで、じっくりと夢を見つけていけばいいと思う」。
むしろ肝心なのは、そのあと。
兼本は、静かに訴えた。
「いちど夢を持ったなら、絶対に諦めちゃだめだよ」。
自分もそうだったように、その課程の中で幾度かスランプも経験した。少年時代から、スポーツなら何でも来い。卓越した運動神経を生かし、93年にプロテストで一発合格を果たしたものの、96年には完全に自信喪失。
1銭も稼げない時代を2年も過ごした。2006年にはシード落ちの憂き目も味わった。
それでも諦めずにやれたのは、恩人の存在があったからだ。人生の節目に、良き出会いがあった。中でも、この人の名前無くしては人生を語れない。
中嶋常幸。ツアー通算48勝の大先輩。
「中嶋さんがいなかったら、僕の去年の1勝もない」と言い切るほどに、全幅の信頼を置いている。この人に救われた。
だから子供たちにも言っておきたい。
もしも、夢に行き詰まっても怖れることはない。
「もちろん、同じ年の友達もいいけれど。うんと年上の先輩に相談してみるのも凄く良い。本当に勉強になることばかりなんだから。たとえば担任の先生でもいい。担任の先生でダメなら、校長先生のところに行ってもいいんだ。みんなは一人じゃない。頼れる大人はたくさんいるから。思い切って目上の人に聞きに行くことで、きっと良い解決策が見つかると思うよ」。
上野恵美子・校長先生は、兼本のこの言葉に背筋が伸びる思いがした。
「子供たちが尋ねてきても、こちらもしっかりと応えられるようにしておかなければ」と、肝に銘じた。
4年生の担任の永井利明先生は、日体大時代にラグビー部でならしたスポーツマン。「学校の先生になりたい」という当時の夢をかなえていま教壇に立つが、兼本の講演を聴くうちに、次なる目標への思いがますます強くなったという。
「生涯現役。60歳を超えても、担任教師を続けていたい」。
そして地元クラブチームでいまも活躍を続けるラグビーでも、「いま43歳だけど、僕の年齢の半分もない若い子たちに、“あの人まだ来てるよ”と嫌がられるくらい、現役にこだわって頑張っていきたいです」と、張り切った。
講演会の最後は子供たちが締めた。「兼本プロへのお礼に」と、ソーラン節の舞と「どこかで春が」の大合唱。エネルギッシュな踊りに目を細め、澄んだ歌声に聞き入っていた兼本は、「ああ、しまった」と、思い至った。
ひとつ、子供たちに言い忘れたことがあったのだ。
いまはスラリと身長178センチだが、「中学生までは、150ちょっとしかなかったんです。そのことで苛められたりもしましたが、今はこうして“逆転”しました」。
さっそくあとで、上野校長先生にそのことを伝えると、偶然にも最後に生徒を代表してお礼のスピーチをしてくれた、6年生の川本駿くんが「僕は中学校に行っても小さいままなんじゃないか」と、気に病んでいると教えてくださった。
兼本は校長先生に、さっそく川本くんをはじめ、悩める小学生たちに追加の伝言を託した。
「彼にぜひ伝えてください。僕は高校に行ってから、20センチも伸びたんだ、って。それに、小さくても諦めることはない。頑張って、別の力をつければいいんだから、と」。
※今年度に予定しているジャパンゴルフツアーメンバーによる“ゴルフ伝道の旅”はこれで5校が終了。ラスト6校目の山形県・酒田市立松原小学校は、4月以降に訪れる予定です。