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<シリーズ>初シード選手に密着③ 岩田寛“スケボー少年”からの転身

昨年の賞金ランク62位につけて、プロ2年目にして初シード入りを果たした岩田は、ゴルフの道に進んだきっかけが面白い。
中学まで野球少年。しかし、同時に趣味で始めたスケートボードにハマってしまった。
仙台育英高進学後には野球をやめて、ますます没頭しよう、と考えていたのが、認定プロの父・光男氏に、バレてしまった。

ある日「まさか、スケートボードをやろうと思ってるわけじゃないだろうな」と睨まれた3男は、つい思ってもない言葉を言ってしまったのだ。

「これからは、ゴルフをやります」。

そう宣言して父を驚かせたからには、一生懸命やらないといけないと練習に没頭。
光男氏は、あの星野英正を育てたことでも有名であり、アマチュア時代には日本アママッチプレーでの優勝経験もある人だ。

初めの取り掛かりはどうであれ、その息子も「上達するたびに、ゴルフが楽しくなっていった」そうだから、やはり血は争えない。
光男氏が「息子には才能がある」と太鼓判を押したというように、めきめきと力をつけていった。

地元・宮城の東北福祉大学に進むと、星野、宮里優作、谷原秀人、谷口拓也ら強豪揃いの先輩たちに鍛えられ、ますます技を磨いていったのだった。

そんな岩田が脚光を浴びたのは、10月の日本オープン。
昨年、ファイナルQTランク38位でツアーの出場権はあったが、主管が日本ゴルフツアー機構ではなく、財団法人日本ゴルフ協会が主催していた同オープンには資格がなかった。
独自の予選会を勝ち抜いて権利を得ていた岩田は、2日目に67で回って5位に浮上。

最終日は5位に終わった。これが、結局初シード入りを決める大きなきっかけとなったのだが、岩田はニコリともしなかった。
いま終えたばかりの上がり2ホールのことで、頭が一杯だったのだ。

17番で、奥カラーからパターで狙ったバーディパットを2メートルもオーバーさせた。
返しも決められず、ボギーを打った。
こののミスを引きずったまま、続く18番のティショットを大きく曲げて右のフェアウェーバンカーへ打ち込んだ。
「・・・あのバンカーに入ったのは、この4日間できっと僕ぐらい」。
連続ボギーの締めくくりに、「この上がり2ホールは、(悔しくて)寝れないです」と、憮然としていたものだ。

先輩・星野も認める「オールラウンドプレーヤー」は口数こそ少ないが、ゴルフへのこだわりは相当なものがありそう。
シード1年目の2007年は、個性派としてその存在が際立ちそうだ。

岩田寛プロフィール
1981年1月31日生まれの25歳。仙台出身。仙台CC所属。
身長177センチ、体重70キロ。
血液型O型。
得意なクラブは「全部、・・・と思うようにしている」。
平均飛距離は「300ヤード前後」。
ゴルフの特徴は「特にない。すべて普通。しいて言えばオールラウンドプレーヤーかな」。
「寛は、確かに特に特徴はないけれど、すべてにおいてソツのないゴルフをする選手。俺のちっさい版・・・という感じかな」とは先輩・星野の弁。趣味の「早起き」は、まさに職業柄か。

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