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とおとうみ浜松オープン 2011
小林正則が初代チャンピオンに
午後から横なぐりの雨も、夕方にはすっかり上がった。うっすらと朱色がかった浜名湖の上空を、ちぎれ雲がゆったりと流れていく。
それを見るともなく見上げていた初代チャンピオンの目に、涙はなかった。プロ14年目。35歳の初優勝。「すごく泣くんだろうと、自分でも思っていたけれど。泣かなかった。らしくない気がして」。
記念すべき第1回大会を、湿っぽいものにしたくなかったというのもある。
「とおとうみ浜松オープン」は市政100周年を記念して、今年産声をあげたばかりだ。特定のスポンサー企業はいない。市民のみなさんの完全手作り。「みんなで作るゴルフトーナメント」を合言葉に、地元有志のみなさんが一丸となって、大会の成功を目指してきた。
会場は、どこもかしこも地元の人たちのそんな熱い思いと暖かさに満ちていたと、小林は思う。「浜松のみなさんの手で作られた、素晴らしいトーナメントの第1回目」。涙で台無しにはしたくない。
「俺なんか、泣かないほうがいいでしょう」と、カラリと言った。
涙のかわりにしいて笑顔を振りまきながら、それにしても「相手はあの石川遼ですよ」と、つくづくと繰り返した。「遼とのプレーオフなんて、もう一生ない。良い思い出になるなと思いながらやっていた」と笑った。
「遼がその場にいるだけで、大会は盛り上がる」。勝てばもちろん尚のこと。
だからといって、今年もシード選手でさえなかった自分には、声援もないだろう。そう思い込むのは間違いだった。
願望は人一倍だが、結婚はまだ。「募集中」と、大々的に言いたいのはやまやまだが「大丈夫ですか、逆に遼の敵(かたき)になってませんか?」。そんな懸念も、取り越し苦労だ。
最終日は一時、4打差に20人以上がひしめく大混戦も、最後は石川との一騎打ち。バーディの激しい応酬は、「自分の中でも混沌として」。
いったい、誰が上位か自分は何位か。「分からなくなっていた」。最終ホールまでもつれにもつれ、石川と首位タイで迎えた本戦の18番。絶好のバーディチャンスをみすみす逃して、なだれ込んだプレーオフ。
1ホール目は、石川の3打目のボールが構える前に、急傾斜を転がり落ちていくハプニングもあったがそれもうっかり見逃した。
小林が思っていた場所とは、違うところで構えて寄せた石川に「遼の次のパットはバーディか、パーか」。
それすらも判別がつかなくなって、攻めあぐねた。
「緊張は、もちろんありましたよ」と、小林は言う。
「でも、ただ勝つんだという気持ちを一番に考えながらやりました」と、最後まで自分を見失うことはなかった。「遼が相手では分が悪い。でも、やるしかない。前を向くしかない」と、何度も強く言い聞かせた。
2ホール目は豪快なティショットでフェアウェイのど真ん中を捉え、あの石川に「セカンドショットでとどめを刺された」と、言わしめた。残りは約270ヤードから奧のエッジに届かせた。
「遼にそんなことを言ってもらえるなんて、最高です。でもあれは本当に良い球が出た。ティショットもセカンドも最高でした」と、本人も納得のバーディで激戦に終止符を打って、新たなファンも獲得出来た。
表彰式、記者会見・・・と、チャンピオンの長い恒例行事を終えて、とっぷりと日も暮れかける頃、なおコースのかたすみで、小林の再登場を待っていてくれた人たちがいた。勝者のサインを求めるファンの列。
「こんな自分にも、思いのほか応援してくださる人たちがいる。鳥肌が立ちました。それを力に変えて、全力を出し切ることが出来ました」。
浜松のみなさんの善意に導かれて、射止めた初代チャンピオンの座だった。