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僕らのツアー選手権 / 草野通朗・支配人の選手権

今週の6月4日から始まるはずだった「日本ゴルフツアー選手権 森ビルカップ Shishido Hills」は”ツアープレーヤーNO.1決定戦”。
選手や関係者が普段、大会を話題にする際には短く「ツアー選手権」とか「選手権」と呼ぶ。
開催週の土曜日は、会場丸ごと夏祭り!
会場がひときわにぎわう1日は、ゴルフと祭りのコラボレーション。「グリーンフェスタかさま」の大会への誘致は、ある一人の仕掛け人の熱意によるものだった。

きっかけは「ツアー選手権」が、茨城県の宍戸ヒルズカントリークラブに移ってきた3年目の2005年。
「ゴルフ大会の成功には、地元住民のみなさんのご協力が欠かせない」と、草野通朗・コース支配人は考えた。
おりしも同年、地元・笠間市では友部町と岩間町との一市二町の合併が決定。

「これを機に、地域のみなさんのより一層の親睦と結束を」と、トーナメントと融合したイベントの開催を企画。
各所との調整を重ねて草野支配人がこぎつけたのが、初回は『元気アップ宍戸まつり』と名付けた「ゴルフ×夏祭り」というコラボ企画の実施だった。

当時は、土曜日のプレーが終わってすぐに、花火を合図に祭りをスタート。18番ホールの向こうから、マーチングバンドがにぎやかに行進する。
特設ステージでは子どもたちが大好きな戦隊ショーや、出場プレーヤーたちが初心者用具”スナッグゴルフ”のジュニアチームと対戦するなど盛りあがる。

祭り日に限っては、夕方からコースが無料で開放され賑わいを見せるなど、今では大会に欠かせない地域イベントとして、すっかり定着。
今では、地元名人によるソバ打ちの体験や、名物・笠間焼師による焼き物教室など催しテントもますます充実している。

大会と、祭りの発展に奔走してこられた草野支配人が、特に感動を覚えたというのが2011年だ。
3月に起きた東日本大震災で、宍戸もコースの一部が陥没したり、クラブハウスの壁が崩れるなど当初は、開催も危ぶまれた。
リスクを承知で決断した大会の実施。
祭りでは毎年、出場プレーヤーたちが愛用品を持ち寄るチャリティオークションが行われる。
参加選手の選定は、その日の成績と選手の心理状況など細心の配慮で行ってきた草野支配人にとっては当日に、順位を大きく落とした選手やトーナメントリーダーを、ステージに立たせることなど論外だった。

しかし、その日は82も叩いてしまった小林正則や、最終日を単独首位で迎える山下和宏をはじめ、川岸良兼や宮本勝昌、S・K・ホ、星野英正、園田峻輔らが率先して登壇してくれた。

「大震災では地元笠間も被害を受けましたが、選手のみなさんが元気づけてくださった。とても有難く、目頭が熱くなったのを覚えています」。
草野支配人の並々ならぬ思いを知って、次々と協力を申し出てくれた選手たちの温かさが草野支配人の胸を打った。
「コロナ禍の厳しい状況が続く今、あのときの選手のみなさんの姿を思い出してなりません」。
また、その成功を、誰よりも喜んでくださったのが地元の方々であったことも嬉しかった。

宍戸に勤められて35年目。大会に携わられて18年目。
期間中はクラブハウスのロビーでいつもニコニコ、トレードマークのメガネ姿でゲストのみなさんを迎える。
物腰は柔らかでも、常にピンと伸びた背筋に秘めた情熱を思わせる。

「期間中はすべてのみなさまを大切にお迎えします。誇りを感じる瞬間は、地域のみなさま、会員のみなさまに、宍戸ヒルズを誇りに感じていただく時です」。
そんな草野支配人にとっての「ツアー選手権」とは……?
毎年、チャレンジ!
大会のために、いつも全力投球の頼りになる名物・仕掛け人。
お会いできない今年もあの笑顔が浮かんでくる。

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