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ダンロップフェニックストーナメント 2011
武藤俊憲が史上6人目の日本人チャンピオンに
「バーディをたくさん獲って、下から追い上げて“勝っちゃった”というのが僕の持ち味」と、得意の勝ちパターンに胸を張る。4打差からの逆転Vに、並みいる海外勢を見下ろせば、「今日は2歩も3歩も前に踏み出せたと思う」と、自信もますます深くなる。
まして大会は38回という長い歴史の中で、史上6人目の日本人Vには「ここでプレー出来るだけでも光栄なのに」と、喜びも深くなる。
2008年から2年連続でトータルドライビング1位。飛んで曲がらない男が「忘れていた長所を、思い出させていただいた」と感謝した途端に、2年ぶりの復活V。
水曜日に練習場でたまたま会った青木功。「お前はそんな打ち方をしていなかった」と、やにわに言われた。クラブを掴まれ、肩や腕を押さえつけられ「そうじゃない!」。熱血指導は1時間。10項目以上にも及ぶダメ出しは「すべて僕らプロにしか分からない感覚」。改めて言葉にしろと頼まれても苦しいが、「お前は体を動かしてボールをコントロールしていけとか、もっとスムーズに振れとか」。
折しも、散らばる球を制御しようと取り組んでいた武藤の狙いを、青木はちゃんと見抜いていた。それに見合う数々のヒントの中でも特効薬となったのは、「左の小指から、ヒジのラインで打て、と」。専属キャディの小田亨さんも、「僕には意味がさっぱり分からん」とつぶやいた迷言も、青木はとりわけ満足そうに、「お前には、こういう言い方が合ってるんだな」。
さっそくの修正も、初日こそ「一夜漬け」の失敗もあったが、3日目の中止を挟んで4日も経てば、もはや難コースも難条件も、苦にもならない。世界ランカーさえ悩ませたこの日の強風。「海からのは重いけど、陸からの風なら対応出来る」と武藤には、そよ風にもならない。
精度が増したティショットはことごとくフェアウェイを捉え、アイアンはピンを刺す。奪った9つのバーディも、一番長くて15番の6メートルくらい。「あとはほとんど2メートル以内」という隙のなさ。
11番で左林のピンチもOKパーでしのいだ。12番でまた左も、7メートルのパーパットが決まると、「これで優勝出来るというお告げのような」。3打差首位で確信すれば、なおさらガムシャラに振る必要もない。17番パー3は「7割の力」で巧みに操った5番アイアンが、またもやピン奧2メートルにからめばもはや勝ったも同然だった。
反面、最終18番は左ラフからアプローチのミスでボギーの幕切れには、これまた青木から容赦ないゲキ。「下手くそ!」と罵られても、おっしゃる通りでございます。
「バカ野郎!」と、叱られたのは昨年。勝てなかったこの2年間は、数々の記憶の中でも特に10月の日本オープンは、いま思い出しても悔しい。最終ホールのダブルボギーでみすみす日本タイトルを逃した。10メートルのバーディトライを4パットした。その年の暮れに、青木のホームコースを訪ねて「あれで良かったのか」と問うた武藤に、「入れたい気持ちは分かるが2パットでいいや、と思って入るパットもある」と、青木は言った。
「勝とう、勝とうの優勝もあるが、勝っちゃったという優勝もある」。ガツガツ行くだけが、能じゃない。勝負の駆け引きを説いた言葉がいま、身に迫る。
そして言葉は厳しいが、いつも自分を気にかけ、可愛がってくれる人がいることの有り難さ。この日は18番で、ペットボトルの水を2本も持って待ち構えていた谷口徹も、またそんな存在。頭から浴びせかけられ、「目が冷めたやろう」と、43歳のベテランが手荒い祝福でいたずらっ子の笑み。
「寒い、冷たい、パンツまで濡れた」と文句を言う弟子。それでも帰りの飛行便すら押して待っていてくれた“師匠”の心意気が嬉しい。
もっともひとつ残念なのは、大会は94年以来史上2度目の競技短縮となったこと。54ホールの戦いは主催者のご厚意で、選手には全額が支払われるが、賞金ランキングへの加算は規定により75%となる。
この1勝で賞金ランクは6位に浮上も、3位の谷口を抜き損ねた。「今週の目標だったのに残念」と、地団駄を踏んだが、今年はまだ2試合が残っている。
「きっちり抜きたいと思います」と、いつも口厳しい師匠に改めて闘志メラメラ。「せっかく青木さんのおかげで良くなったし、これから3連勝するくらいの気持ちで頑張ります」と威勢よく、実現すれば大逆転の賞金王も夢じゃない。「あら獲れちゃった、なんて最後も言えたらいいですね」と、本人もまんざらでもない。