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喪主・敏一氏のごあいさつ
生前、繰り返し言われていた。
「葬式は家族3人だけでやれ。お別れ会のようなもんも、やらんでいい」。人様に迷惑をかけるな、が口癖だった。ツアーでも数々の記録を達成して、そのたびに主催者や関係者がお祝いの会を開くと申し出たときも、「そんな大袈裟なん、せんでいいんです」と、頑固に言い張った。
「遠慮と照れもあったと思います」と、敏一氏。
今回も、遺言を破って社団法人日本プロゴルフ協会と社団法人日本ゴルフツアー機構、そしてジャパンゴルフツアー選手会が合同で主催した盛大な会には「怒ってるかもしれません。こんなことしてる暇あったら練習せえよ、と」。
それでもいざ、こうして遺影の前に立ってみると「昔の怖いときの写真が今日は優しく見えたので。本当は喜んでくれているのかな、と思う」と、敏一氏は父親の本音を代弁して、感謝の言葉にかえた。
跡を継いでプロゴルファーになった息子に父親は人一倍厳しかった。「痛い、熱い、寒い、しんどいと言うな、と」。不言実行と、諦めない姿勢を身を持って教え込まれた。
生前は父と息子というより、師匠と弟子の関係だった。
「でも最後の何週間かは僕が車いすを押したり、熱冷ましの氷嚢を頭に置いたり。最後にやっと親子みたいに過ごすことが出来た。怖いオヤジが、優しいオヤジになったと思います」。
先日、四十九日を終えたばかりという。「区切りをしていかないといけないのですが、思い出すことが多くて。気持ちの整理がつくのには、まだまだ時間がかかりそうです」と敏一氏。
同時に偉大なプロゴルファーを父に持った長男の自覚は日に日に増している。「何も言わず、ゴルフにも病気にも立ち向かっていたオヤジが、身体を張って言わんとしていたことを、残った家族で一生守っていきたいと思います」と、話した。