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キヤノンオープン 2012
丸山茂樹は2位タイにも「明日は最悪の朝を迎える」
丸山がやってきた時間にちょうど、会見場を見学していたのが、横浜市立緑園東小学校のみなさんだった。
子供たちの拍手で迎えられて席に座った丸山は、無数の無垢な視線を一身に浴びて、居心地が悪くて仕方ない。
「これじゃネガティブなこと、言えないじゃん!」と悲鳴をあげた。
そして子供たちがその場を離れたとたんに、始まった。
「今日もフェアウェイに行かない。グリーンに乗らない。内容的にはしっちゃかめっちゃか。雰囲気だけで、やってるのに、なんでこんな位置に自分がいられるのか。まったく分からない感じで」。
朝の練習場で、池田勇太に言われた。「めちゃくちゃいい球打ってるじゃないですか!」。
それは本人も認める。「練習場では一流選手」。
それがいざコースに出ると、過剰反応が始まるのだ。
「ドライバーを握ると、耳元でノイズが走る」と、丸山は言う。
「そばで手をバチン、と叩かれるような・・・」。この音が聞こえたら、もうダメだ。
「のど自慢大会で、マイクが震えている人がいるでしょう。見ているこちらが気の毒になっちゃうような。あれが僕です。手が震えて、鼓動が速くなり、力感がなくなって、まっすぐに打てなくなる」。
アメリカから持ち帰ったイップスの症状がもたらす極度の緊張状態だ。
ひとたび「曲がるかもしれない」との不安が頭をよぎれば平常心ではいられなくなる。
12歳から大きな舞台で活躍してきた天才だ。
「緊張なんか、したこともなかった」。
度重なる怪我や不振も、それを補ってあまりある才能で補ってきた。
その丸山が、ここにきて限界すら感じている。
「ここ数年は、パンチがあたらない試合をやらされているような感じです。2年で、300万円しか稼げないようじゃあ」と、苦しい胸の内を明かした。
2009年に、復活のツアー通算10勝目を達成した「ゴルフ日本シリーズJTカップ」。あのとき得た3年シードも今年いっぱいで切れる。
それを思うにつけても近頃は、「このまま治らなければそれもあるかも」と、引退後の生活について考えることも多くなったという。
つい先頃はANAオープンで、初日に68で7位タイにつけながら、2日目には80を打ってコースを去った。「どんだけ自信がある人間でもこれではさすがに・・・。毎週のように打ちのめされています」。
一見、昔のまんまのマルちゃんスマイルも、顔で笑って心で泣いて。悲痛な声を上げながらも、「これで終わるのは心残りがある」と、歯を食いしばる。
今週は、少しでも不吉な気配がするときには、スプーンでもなく、ティショットでクリークを握るようにしている。
前日初日に7番で、もう懲りた。「ドライバーで打って、OBまで3メートルの右の斜面に。明日はクリークで行くからね」と、早々にキャディに宣言したほどだ。
この日は同じパー5で1打目も、2打目もクリークで打って、残り100ヤードの3打目をエッジに運び、そこからパターで10メートルの「チップインバーディ」に「作戦成功・・・っちゃ成功ですか」と、浮かべた笑顔も、どこか苦しげだった。
昨年のマイナビABCチャンピオンシップの3日目以来となる最終組にも喜べるはずもなく、「明日は目の前に調子の良い人を見ながら、大勢のギャラリーに囲まれて、最悪の朝を迎える」と鬱々と、「若くて勢いのある勇太を前にして、どれだけ自分がやれるのか。ラウンドリポーターのような心境でやれれば」。
せめて自分をとことん客観的に見ながらやるしか、今の丸山にはすべがないようだ。