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つるやオープンゴルフトーナメント 2004

三橋達也が首位キープ!つるやオープン3日目は、1打差の2位に3人が並ぶ混戦模様で最終ラウンドに突入 無二の親友との約束を果たすとき

「お互い、頑張って優勝しよう」
無二の親友との約束を果たすとき・・・三橋達也が通算8アンダーで初優勝のチャンス
2000年7月、「この世に、2人とない」大切な友人を無くした。プロゴルファーの小島 礼志(れいじ)さん。くも膜下出血で倒れ、6日間も発見されなかった。
小学生時代からの幼馴染みだった。ジュニア時代は「俺が1番なら礼志が2番。礼志が 1番なら俺が2番」。競いあいながらともに成長し、三橋は、小島さんと1年遅れの99 年にプロ転向を果たした。
しかし、翌年のデビュー元年に、小島さんは忽然と、三橋の前から姿を消してしまっ た。
小島さんが最後に出場した試合は、地元開催の住建産業オープン広島(現・ウッドワ ンオープン広島)。その会場で、「お互い、頑張って早く優勝しよう」と話しあった ばかりだった。その数日後に帰らぬ人となった。
「小さいころから兄弟みたいに育った。家に勝手に上がりこんで、居間のコタツで寝 ているような、そんな間柄。今でも、信じていない」。亡くなった直後は、しばらく まともなゴルフができなかった。ラウンド中も、ふと思い出して涙ぐむ。「礼志の分 まで」と気負いすぎて、空回りした。
その年は、ファイナルQTランク31位の資格で本格参戦を果たし、春先のフィランスロ ピーでプレーオフの末2位に入り、初シード入り当確といわれながらも、以後、親友 を失ったショックで予選落ちが続き、あと一歩のところでチャンスを逃した。2002年 には、ツアーの出場権さえ失った。
傷が癒えたのは、ごく最近になってからだ。
「やっと穏やかな気持ちで礼志の顔を思い出せるようになったんですよ」。
今でも、思い出さない日はない。そして、そのたびに悔しくなる。「なんであんない いやつが・・・」。そして思うのだ。「・・・俺だって、明日の朝、必ず目を覚ますとは限 らない」。
だからこそ、いま生きてこうしてトーナメントの会場に足を運び、大好きなゴルフを 職業にして、たくさんの人の前でプレーできる喜びを、噛み締めずにはいられない。
「たとえばボギーを叩いて、悔しがることにさえ、感謝したい気持ち。もちろん、ミ スはむかつくけどでも、それに本気でムカつけるという環境にいられる自分は、ほん とうに幸せだと思う。その中で良い結果が出せるなら、それ以上に幸せなことはな い」
通算8アンダー単独首位に立って迎える、初の最終日、最終組。先にどんな結果が 待っていようとも、「その状況を、ただひたすらに楽しみたい」。無二の親友が、死 を持って教えてくれた生き方だ。

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