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つるやオープンゴルフトーナメント 2012

ツアー第2戦つるやオープンも“ドン”がいない春・・・

最年長予選通過を果たしたのは2006年
つるやオープン、といえばこの人、との印象があまりにも強かった。ドンこと杉原輝雄氏は、今大会に欠かせない“顔”といっても過言ではなかった。歳を取り、体力の衰えを痛感するとともに出場試合数を減らし、ガンの告知を受けても、ほか数試合を含むこの大会だけは、「絶対に毎年出る」と言ってきかなかった。

男の約束は、19年前だ。大会の発足初年度。大会主催のつるや株式会社の西村文延・代表取締役社長がトーナメントの開催を発表するや、「西村さんがいる限り、僕はいつまでも出るよ」と、ドンは言った。
そして、ほんとうにその言葉を死の間際まで守り抜いた。
「ほんとうに義理堅い男でした」と、西村社長はしみじみと振り返る。

最初の出会いは昭和42年。
「お互いにまだ若かった」。ドン29歳、西村社長は33歳。メーカーとの顔合わせで同席した所属プロが杉原氏だった。「日本オープンを皮切りに勝ち星を重ねて、人気上昇中の頃で。全盛期ですね。でも、お腰はとても低い方で。では今度一緒に回りましょうか、と。まだゴルフを習いたての僕を気さくに誘ってくれた」。

以来、同社のイベントには必ず顔を出したり、ドンと西村社長との長い、長いつきあいが始まった。
今大会も皆勤賞で、毎年華を添えたばかりか、2006年には68歳での最年長予選通過を樹立して話題をまいた。

そのとき表彰式で、ドンに「特別賞」を贈った西村社長が「この人ほどまっすぐ飛ばすプロを、僕はまだ見たことがない」と褒めちぎった際の、珍しく照れたような、はにかんだような、なんともいえないドンの表情が忘れられない。はぐらかして、「僕のことはもうよろし・・・!」と、西村社長をたしなめていた。あの微笑ましいシーンを昨日のことのように思い出す。

連続出場の鉄人記録は、2010年大会を最後についに途切れた。
「あの人は、そう簡単にあきらめる人じゃなかった。その人が、ついに去年は出てこられなかった。もう、相当悪いのだ、と・・・」。
西村社長も覚悟はしていたとはいえ、ついに昨年末の悲報に寂しさは募る。

先週の開幕戦ではプロアマ日にスタート前の黙祷のあと、選手会メンバーが1番ティでスモークボールを放つ追悼セレモニーを行い、その死を悼んだが今週は、クラブハウス前のパッティンググリーン横に「メモリアルボード」を設置。また、杉原氏が前人未踏の大記録を達成した2006年大会の模様をビデオで流して、在りし日をしのぶ。

西村社長は、御年79歳。プロアマ戦のこの日水曜日は選手会長の倉本昌弘と組んで、亡きドンの代わりとばかりにハッスルプレーでチームを盛り上げておられた。
「今年も最終日に良い試合だったといえるような大会にしたい」。そんな西村社長の期待に応える選手たちの活躍を、きっと山の原のどこかでドンも見ている。

  • そのとき、西村社長から特別賞を受け取ったものの「予選通過しただけ、という結果やから。情けない」と恐縮しきりだったドン
  • そしてこの日のプロアマ戦、西村社長は、ドンがいない寂しさを吹き飛ばすかのようなハッスルプレー。「今年も良い大会だったといえるようにしましょう」と選手たちにエール

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