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ジャンボ尾崎が語る、「カウントダウン事件」の真相

今年は新春早々に、ゴルフ界に衝撃が走った。通算113勝。実に12回の賞金王に輝いた、まさにレジェンドの一人だ。ジャンボ尾崎が自身のオフィシャルブログに「カウントダウンが始まったようだ」と、書き込んだのだ。すわ引退か、と大騒ぎになった。各メディアの番記者が、事実確認に奔走した。ともに一時代を築いたいわゆる“N”も、すかさず反応した。
中嶋常幸は、つい当時のやむにやまれぬ思いを漏らしてしまった“戦友”の心情を思いやりながらも、こんなふうに言って一笑に付した。

「ジャンボはやめないよ。あの人が、ゴルフをやめるわけないじゃん!」。

長年の付き合いで、嫌というほど知り尽くしている。ジャンボの生涯現役への思い。50歳を機に出場可能なシニアツアーには、ガンとして背を向けてきた。そのほかにも「プロゴルファーというのはテレビ解説やレッスン、ジュニアを教えたりといろいろなことが出来るけれど、俺の場合はゴルフしかできない」。その中でも「レギュラーしか出来ない」。それこそがプロ45年のこだわり。
そして、その執念こそが、昨年4月に前人未踏の快挙をもたらした。

つるやオープンの初日に1イーグル、9バーディ、2ボギーの「62」でツアー史上初の“エージシュート”を達成した。当時66歳が、2位と3打差をつける単独首位に立ったのだ。

「あのときは、オフでしっかり体を作ったから。ツアーが開幕した直後は体力があって、いいスコアを出せるという予感があった」と、あとで平然と言ってのけたから恐れ入る。

いつもあれほどまでに、前だけを見つめてきた。あれほどまでに、頂点だけをにらみ邁進してきた第一人者が昨年末に、「カウントダウン」などと表してふいに弱音をもらしたのはこんなわけがあった。本人が明かした。
「去年の後半あたりから背中の痛みが大きくなって、うしろに反れない状態がずっと続いていた」。周囲の説得もあって、検査入院をしたのは12月。「5番目の胸椎に石灰の沈着が見られる」との診断も、それが根本原因かもはっきりせずに、不安はなおさら増したという。

ゴルフ界に数え切れないくらいに打ち立ててきた金字塔も、華やかなスポットライトの影で、血さえ吐くような努力と準備を怠らなかったからこそ。今回はそんなオフの調整すらままならない激痛に、「果たしてこの状態でやっていけるのか。そういう思いが心と体に突き刺さったのは間違いない」と、ジャンボは言う。

「出来るだけ粘って頑張っていきたいとの気持ちはいつも持っているけれども」。それとは裏腹に、消しても消せない心の葛藤。ブログには、「そのときの正直な気持ちを書いたんだ」と、当時の苦しかった胸の内を打ち明けた。

あの衝撃から約3ヶ月。「だいぶ痛みは取れてきた」と、今や浮かべる笑みも以前と変わらず晴れやかだ。
「8割くらいは戻った」と、再び創意工夫に溢れたトレーニングに着手。「量は変わらないけれど、方法論は変わる。寒いこの時期には基礎体力の向上や、体の変化による新しいスイングを作ることを主眼に置いている」と今は症状に合わせて試行錯誤を重ねながら取り組んでいるという。

「歳を経てくると、いろんなところが悪くなるのは確か。ましてや半世紀もスポーツをやっているわけだから。いつまでも20代、30代のようなわけにはいかない。妥協しなければいけない点も多々あるけれど」と苦笑いで前置きしつつも、「自分の人生で“妥協”という言葉は嫌なんだ」。
こだわるのはあくまでも、生涯現役。そのためにも「現役選手らしいパワーと心を求めていきたい。妥協するなんて、面白くない」と、生来の頑固さも戻ってきた今、ジャンボの心の中に響くのは、完全復活へのカウントダウン。

昨春のエージシュートも、その予兆のひとつに過ぎない。
「俺からすれば、あれも初日のたった1日の出来事に過ぎない」と、ジャンボ。
「ゴルフでは1日だけなら予測できないいろいろなことが起こり得る。例えば、ツアープロがアマチュアに負ける。あるいは女子プロに負ける…。エージシュートはそういう類なんだよ」と持論を強調した上で、「俺としては、優勝争いをしていく中で、最終日にエージシュートをしたいね。そしてもちろん勝つ!」と言い切った。
ソチ五輪では、スキージャンプの葛西紀明選手の41歳の最年長銀メダルが話題となったがゴルフ界のレジェンドは、それ以上に世間の度肝を抜く“K点超え”を狙っている。

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