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〜全英への道〜ミズノオープン 2014
ゴルフ人生はまさにミズノとともにある、手嶋多一が首位タイに
「初めてゴルフを始めたときから僕は、ずっとミズノのクラブで育った」。
一時期まで、男子ツアーの最年少予選通過記録は手嶋が持つ15歳と11ヶ月(1984年日本オープン)。地元九州で神童と呼ばれた天才少年は、まさにミズノとともに、ゴルフ人生を歩き続けてきた。
根っから昭和の男は、もちろんそういう性格でもないから声高に口に出したりはしないが今大会で、ぜひ結果をという思いはどの選手よりも強い。
しかし今大会での同社の契約プロの優勝が、1986年大会の中嶋常幸(当時)以来、途絶えたままというのが心苦しく、また今大会で、全英オープンのクォリファイングシリーズが始まって早21年が経とうとしているが、「その権利でイギリスに行った選手も、ほとんどおらずに」。
たとえそれが自分でなくとも、「誰か一人でもミズノから」という思いを常々抱いてはいるものの、相変わらず強いことも言えずに、「今日はとりあえず、鬼門は乗り越えることが出来ました」。
今大会との相性は悪くはないが、それでもたとえ初日に好位置につけても2日目以降にいつも崩れるというジンクスを、自分の中で作ってしまっているだけに、初日の上田は、やはりミズノ契約プロにも負けじと、入れ替わりの首位獲りにはほっと安堵のため息で、「明日はきっと80くらいは叩きますけど」と、わざとはぐらかすのは相変わらずだ。
今週は、久しぶりにエースパターを取り出して、カップの縁にぶつけて入れる強気のパットがよみがえった。総距離7382ヤードのここJFE瀬戸内海ゴルフ俱楽部は、232ヤードもある最難関の14番のパー3も、「僕には乗せるのは無理」と昨シーズンは、原因不明の体重7キロ減に、「飛距離が落ちた」と悩まされていたベテランは、なおさらはなからパーオンは諦めてもその分、アプローチで補い、1.5メートルを拾った。
16番でも2メートルのきわどいパーパットを入れるなど、ボギーなしの68を出して「僕には出来すぎですね」。相変わらず謙虚に、「僕がこのまま最後まで行けるとは思えないけど」と、断りながらも「頑張りますよ」と、控えめに健闘を誓った。