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ブリヂストンオープン 2014

初めて出たプロの試合がこの大会! 市原弘大が思い出の舞台で

思い出の舞台で、32歳が2位タイで飛び出した。この日は強い雨風が吹く中で、66で上がってきた。前日の水曜日の練習日もやはり、悪天候にも「昨日のうちに、6ホールほどコースを回っておいた甲斐はありました」。

この日は冷え込みもきつく、「雨や気温の低い中での距離感も、昨日のうちに計算できていたので」と予行演習を生かした。

2016年から、パターを体の一部に固定して打つ、いわゆるアンカリングの禁止を踏まえて、今年からとうとう長尺を手放した。
腰痛や、イップス気味の症状など複合的な原因で10余年も愛用してきた。

しかし「今年1月にいきなり短いのに変えて、不安は不安でしたけど」。先週の日本オープンも「あまりにもパットが入らず。頭に来た」と予選落ちに、本当なら足早にコースを出るところを、あまりの怒りに「死ぬほど打ってやる」と、3時間の居残りレッスンをするなど、猛特訓の成果はあった。

9番のパー5では、270ヤードの2打目をスプーンで8メートルに乗せて、イーグルを奪うなどパットが冴えた。
決勝ラウンドには進めなかったが先週の日本オープンは初日にちょっとした話題になったのも、市原だった。

千葉カントリークラブの18番は、607ヤードの長い長い18番パー5で、アダム・スコットが2オンに成功して大ギャラリーを沸かせたがもう一人、2打で乗せてきたのが市原であり、「僕はスプーン。2番アイアンは、やっぱりさすがですね」と、謙遜しきりでスコットを称えたが、その日“ただ2人”の快挙には、賞賛の声が上がったものだ。

参考記録として、パー5の累計スコアで、現在7位というデータも、3つのパー5がすべてチャンスホールというここ袖ヶ浦では特に心強い。

私立埼玉高校2年の1999年に、初めてプロの試合に挑戦したのがこの大会。初日は68で回って、堂々の9位タイにつけた思い出の舞台で、2012年を最後に失ったままのシード権にも、ここでしっかりとめどをつけておきたい。


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