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日本オープンゴルフ選手権競技 2018
稲森佑貴が日本一の初優勝
プロ8年目の初優勝を、日本一のタイトルで飾った。
歓喜のガッツポーズは「マイブーム」でキメた。
近ごろ、男子ゴルフではやりの「虎さん」。
コース上の愉快なパフォーマンスが一時期、世界中に拡散された。
「あの勢いが、僕にも欲しい。勝ったら、虎さんみたいなガッツポーズをしてやろうと決めていた」。
韓国の崔虎星(チェホソン)がモデルというVシーンも、片足立ちの握り拳に「ヨシっ!!」というかけ声は、稲森オリジナル。
「日本オープンは、ツアーの中でも一番ほんとのほんとの頂点」。
今年83回と長い歴史の中にあっても日本オープンで、初優勝を飾ったのは08年の小田龍一まで7人しかいなかった。
8人目の快挙を成し遂げた24歳は、「非常に身の引き締まる舞台。ここで初優勝できたことを誇りに思う」。
会心のガッツポーズも実現させて「気持ち良かった」。
日本一曲げない男が、日本一の舞台で輝いた。
昨年まで3年連続のフェアウェイキープ率1位はこの日ついに100%を記録。
4日間平均86.67%は、シーズンベストで今年も脅威の記録を更新中だ。
このオフ、宮崎合宿でパットを教えてくれた谷口徹。「ちょっとは曲げて、ラフやバンカーも練習しろ」と独特の表現で、ベテランを唸らせた正確無比なショットは3差で出たこの日、一時は1差に迫られても曲がらなかった。
「逆に燃えた」と南アのノリスの猛追が、むしろ燃料に。
9番で10メートルを沈めて、この日の初バーディを契機に突き放しにかかった。
10番では7メートルも決まった。
後半ノリスの4連続バーディには、13番からの3連続バーディで応戦。
終始、落ち着き払った試合運びは再び3差で迎えた最後の18番パー3で、やっと初めて人並みの緊張が押し寄せた。
5Wのティショットは「力んだ」と、左奥にそびえる巨大なクレーンカメラの根元へ。「行ったこともないようなところに飛んだ。嫌らしいラフだった」と、2打目もバンカーに落ちかけたがどうにか乗った。2パットで逃げ切った。
「この試合で、初優勝するのが目標でした」。
大きなミスは、このパー3の最終ホールとスタートの2打目くらいという。
パー4以上のティショットはこの日、とうとう一度も曲がらず真っ直ぐに信念を貫いた。
「確かに僕の持ち味だけど。フェアウェイキープはもう、当たり前のものとしたい」。今季、自身の“専売特許”にこだわるのをあえてやめたのは「固執すると、本来の目的を見失う気がしたから」。
特に、九州勢の初V者が目立つ今季、中でも稲森の心にいっそう火をつけたのは、8月。「RIZAP KBCオーガスタ」で勝った出水田大二郎は「同じ鹿児島で、小学校からのつきあい。嬉しい反面、先を越されて悔しい気持ち」。
あのとき、見透かしたように「お先に失礼しま〜す」と、わざと剽軽に言った幼なじみのライバルには「カチンと来た」。
悲願の初Vを、日本一のタイトルで飾ってその鼻を明かすことにも成功した。
11年に、16歳でプロ転向した当時は全国「道の駅」が定宿だった。
コーチの父・兼隆さんを“運転手”にキャンピングカーで寝泊まりする倹約生活は、14年に初シード入りを果たしたあとも、しばらく続いた。
現地では、キャディをして支えてくれた父に「俺は俺のゴルフで行く。もうゆっくり見ていて」と告げたのは、それから2年を過ぎたころ。
今はプロキャディの明神薫(あけがみかおる)さんを相棒に、宿や交通は自ら手配。レンタカーを使って会場を移動する。
キャンピングカーは、ひとつ役目を終えて今ではご両親の“フルムーン”に欠かせない足に変わった。はるか北海道までそれに乗って観戦に来てくれることもある。
「帰りは途中、ゴルフをしながら徐々に南下していくらしい。めっちゃ満喫してくれている。良い老後生活です」。
デビュー当時は、まだまだあどけなさが残るくりくりのいがぐり坊主も立派に成長をとげて、いっぱしの口をきくようになった。
孝行息子は24歳のいま、最高の形で正真正銘の独り立ちを完成させた。